“マルハナバチの羽音”[ブログ]

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地元・関西が盛り上がっています!2023.11.27

 

阪神タイガースの日本一、オリックスバファローズ(元は神戸が本拠地)の三連覇、そしてヴィッセル神戸がJリーグ初優勝!!

 

 

5月には、神戸のスタジアムにオリックスの試合を観に行って、紅林選手のプロ初というサヨナラホームランも、真正面で見ました。

 

阪神VSオリックスの日本シリーズは、私も毎日テレビの前で応援しましたよ。連日、サプライズ満載で、野球って楽しいなぁと思いました。

 

また、史上初の、両チーム同時&場所入れ替えの優勝パレード!

ファンの皆さんの熱い歓声や笑顔、手を振る選手たちの喜びの顔を見ているだけで、こちらもハッピーになりました。

 

さらに、おとついの、ヴィッセル神戸の年内最後のホームの試合。

絶対今日でヴィッセル神戸が優勝を決めるだろうな(甲子園での阪神の奇跡的な10連勝→リーグ優勝と同様)、と思いながら応援しつつも、途中から名古屋の猛攻撃にハラハラしました。

 

やっと追加時間も過ぎて、Jリーグ初優勝!

選手たち、スタジアムのファンの皆さんの歓喜の声を聞き、笑顔を見て、またハッピーのお裾分けをしてもらいました。

 

ついに出版できました!2023.10.29

 

秋が深まり、空気が澄んできました。今朝は5時に起き、服を着こんで「豊穣の満月」の月食を見ていました。そばには明るい木星が、東の空にはさらに明るい金星が輝いていましたよ。

  

さて、ようやく、フェルデンクライスと声の本の日本語版を、出版することができました。

水野久社長をはじめ出版元である晩成書房の方々、原著者のお二人、そして私を助けてくださった皆様に、心から感謝いたします。

 

★本の詳細と、出版記念ワークショップはこちら

 

2023.5.4   新緑と藤の波

 

2023.4.1   春が来た!

 

街角ピアノ2022.12.14

 

先日、旧居留地を大丸(神戸店)に向かって歩いていたら、

三井住友銀行の正面玄関の横に、グランドピアノが置いてあった。

「ストリートピアノ」だ。

その前を通り過ぎ、銀行の角を曲がった。

あぁ良いな、弾いてみたかったなと思いながら。

 

ふと、それなら弾いてみたらいいじゃないか、と思い直した。

3時を過ぎ、銀行の正面玄関は閉まっていて、人通りもほとんどない。

 

ピアノの前に戻って、椅子に鞄を置いた。

「神戸文化ホールで活躍したピアノ」だと書かれていた。

メーカー名は見当たらない。

 

手の消毒を済ませて蓋を開けると、スタインウェイの文字があった!(有名な高級ピアノだ)

 

短い曲を1曲(オードリーが歌った愛らしい曲)弾いて、

そっと蓋を閉めた。

 

うれしくなって、角を曲がった。

 

 *三井住友銀行前のストリートピアノ

 https://kobe-piano.jp/piano/smbc/

 

 

初夏の候2022.5.5

 

 

 

憲法9条は宝物2022.5.3

 

気がつけば、半年以上もブログの更新を怠っていた。

でも、今日は憲法記念日。書かないわけにはいかない。

 

日本国憲法の前文を初めて読んだのは小学生のとき。

子どもながらに感動したことを、私は今でも覚えている。

 

「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」

これらをうたう9条を含む「平和主義」の日本の憲法を、

私は心から誇りに思っている。絶対に譲れないものだと思っている。

 

 

これを政府が“改正” (改悪)することを、私は決して許さない。

そもそも、政治家や官僚に、そんな権利はないのだ。

 

憲法を守る義務があるのは、意外にも「国民」ではなく、

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」なのだという。 (日本国憲法 第99

池上彰さんによれば、「憲法は、国民が権力者に対して命令するもの」であり、 「国民は、憲法を守る義務を負わされるのではなく、憲法によって守られる存在」だ。

 

“軍事”同盟国のために、他国へ押し入って戦うなど、あり得ない。

私は、殺されるのも殺すことを強要されるのもごめんだ。 

まして「核共有」なんて、あほちゃうか。

 

 憲法9条というと、私は故・中村哲医師の言葉を思い出す。

 

中村哲さんは、インタビューの中で、「憲法9条のおかげで僕たちは守られている」と語っていた。

その中村哲さんの言葉を是非とも知ってほしいので、8年前にもこのブログで引用したそのインタビューを、再度そのまま引用したい。

  2013611日の毎日新聞(夕刊)特集

「憲法―この国はどこへ行こうとしているのか」(小国綾子記者)より

   ↓

------------------------------------------------------------------ 

 「欧米人が何人殺された、なんてニュースを聞くたびに思う。なぜその銃口が我々に向けられないのか。どんな山奥のアフガニスタン人でも、広島・長崎の原爆投下を知っている。その後の復興も。一方で、英国やソ連を撃退した経験から『羽振りの良い国は必ず戦争する』と身に染みている。だから『日本は一度の戦争もせずに戦後復興を成し遂げた』と思ってくれている。他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

 

「一時帰国し、墓参りに行くたびに思うんです。平和憲法は戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の位牌だ、と」

-------------------------------------------------------------------

(中村哲さんは現地で殺害されてしまったが、殺害犯は本当は中村さんらを殺すつもりはなかった、と何かで読んだことがある。)

 

何度も中村さんら日本人の命を救った「平和憲法」の前文を、

最後にここに掲載したい。

  ↓ 

 ==========================

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

      (日本国憲法より)

================================

この憲法を、私は絶対に譲らない。

しかし、アメリカやロシアを含む世界中の国・地域と、これを「共有」したいと思う。

 

日本国憲法2022.5.3

 

今、ウクライナがプーチンのロシアに侵略されている。

その報道を目にするたび、胸が痛くなる。

一瞬でも早く、プーチンが侵攻をやめるように、心から祈っている。

 

ウクライナのゼレンスキー大統領は米国などに武器供与を求め、

米国がそれに対し、何億ドルもの武器供与をしたという。

祖国を守るため。

しかし、軍事支援はロシア兵だけではなく、

ウクライナの人々をもさらに殺傷することになる。

(そもそも米国による武器供与は米国の軍事会社が得するだけではないか)

 

ロシア兵の残虐行為自体は決して許せないが、それでも私は

ウクライナに住む人々もロシア兵も、ともに無事でいてほしい。

 

プーチンの狂気的なウクライナ侵攻は絶対に正当化できないが、

それでも、ロシアに対するこれまでの米国(とくにバイデン氏)の無神経さ。

※毎日新聞 2022/4/22(夕刊)の元外交官・東郷和彦さんのインタビュー記事。https://mainichi.jp/articles/20220422/dde/012/040/012000c

 

日本国憲法の前文にも

「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」

と言う。

国と国の間でも、人と人の間と同じように、

相手の感情を無視してはいけない。自分のみ正しいと思ってはいけない。

アメリカもロシアの事情や感情を無視してはいけない。

 

と言いつつ、はっと、先日の私自身のある出来事を思い出し、反省・・・。

  

閑話休題。

 

「厳しい経済制裁」も、ロシアの一般国民とそこに住む人を苦しめるだけで、プーチンを懲らしめることにはならない。プーチンは、困らない。

ある程度は仕方ないにしても、徹底的にやってはいけない。

むしろ、ロシアの人々の反感を買い、憎悪を生むだけだ。

日本はそれに得々として加担している場合ではない。

 

ウクライナの「支援への感謝」動画に日本が表記されなかったことで

日本人から、がっかりの声があがっていたそうだ。

でも、「軍事支援はしていないから、日本が載っていなかった」ことを、

私はむしろ喜ぶ。

 

=====================================================

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、~この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

      (日本国憲法より)=====================================================

この憲法を持つ日本が、国家の名誉にかけ、全力を挙げて

ロシアとウクライナの間の橋渡し役を果たせたら、

どんなに日本国民として誇らしいだろうかと思う。

 

秋の詩人 (2021.10.2

 

八木重吉という詩人がいる。

 

「雨」という詩に曲がつけられた男声合唱(多田武彦作曲)を

学生のころに聴いた。心にしみた。

それ以来、私が大好きな詩人だ。

 

「秋の詩人」と呼ばれるほど、秋の詩が多い。

 

今日のように、透き通るように晴れた、静かな秋の日は

八木重吉の詩が思い出される。

 

その八木重吉は、神戸にも縁が深かった、

ということを、この前はじめて知った。

 

重吉は高等師範を卒業後、御影師範学校に着任、

結婚し子どもたちが生まれた3年ほど。

私も知っているものを含め1800もの詩が書かれたのも

神戸の御影の地だった、と知って、うれしい。 

 

夏至 (2021.6.21

 

夏至の日が暮れてゆく。

 

いつまでも明るい夕べに

金色の光が斜めから差し込む。

たっぷりと時間があるような。

 

しろつめくさの野原を

ツバメが2羽、低く飛ぶ。

明日は雨かな。

 

夏の訪れをひときわ喜ぶ北欧の、

とても美しい「夏の讃歌 Sommarpsalm」。

私も大好きな歌。

 

(上手な合唱団が歌っているのを見つけました ↓)

 https://www.youtube.com/watch?v=fpF447xAP3c

 

無料プレゼント!超基本の動画レッスン (2021.6.19

 

1か月前に、「介護施設や医療現場で働いている方に使ってほしい」と思って、短めの動画レッスンを作りました。
コロナ変異株が感染拡大するなか、不安や緊張を抱えながら仕事をなさっているので、体や心を緩めるのに少しでも役に立てば、と。
夜寝る前などに気軽にしてほしいので、解説などは抜きで30分程度にまとめました。とくに、リラックスしたり腰や肩の緊張緩和の効果が期待できます。
せっかくなので、介護や医療現場の方だけでなく、誰にでも無料で使ってもらえることにしました。

お申込は不要です。

※フェイスブックですが、アカウント(会員登録みたいなもの)がなくも、ログインしなくても見られます。

 

  

【腰・肩をゆるめる、フェルデンクライスの超基本のレッスン】

こちらからどうぞ

https://www.facebook.com/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E7%A5%9E%E6%88%B8-108861988065018

 

「ログインまたは新しいアカウントを作成」という帯状の表示が出たら、その帯をクリックし、その下の方の「後で」というボタンを押すと、ログインしなくても見られます

 

スーザン・E・ハリス先生 (2021.5.25

 

さっき、たまたまWebサイトを見て、センタードライディングのスーザン・E・ハリス先生が、この3月にお亡くなりになったことを知りました。
 ※センタードライディングとスーザン先生のことは、2018年3月3日のブログ記事に
2018年に初めてセンタードライディングのセミナーに参加したとき、本来の講師が都合が悪くなり、たまたまスーザン先生が代行されたのですが、スーザン先生に教えてもらえた私はとても幸運でした。
とてもハートのあたたかい先生でした。
先生がお亡くなりになったことは、本当に残念ですが、今もスーザン先生のことを考えると、私も心があたたかくなるような気がします。
 
盟友ペギー・ブラウン先生(セミナーで当初の予定の講師)がスーザン先生を悼んで贈った賛辞に、次のような言葉がありました。

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 スーザンの人生における使命は、馬に対する人道的な扱いを促進し、世界中で馬の人生を向上させることだった。(中略

 スーザンは人々に、どのように自分の体の使い方や自身のバランス、感情的な反応について責任を負うかを教え、馬が自由に、調和のうちに理解をもって動けるようにした。

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センタードライディングでは、フェルデンクライス・メソッドなどのボディーワークを学ぶことが推奨されています。
まさに、騎乗者が自分の体をうまく使うことは、騎乗者自身のためだけでなく、馬の健康や幸福の増進に直結するからです。
馬のLife(命・人生)の向上を願ったスーザン先生。
先生の気持ちに、私もフェルデンクライス・メソッドを通して少しでも応えたい、と思いました。

 

(上の写真、左:2018年スーザン先生と。右:スーザン先生はこの薔薇のように穏やかで温かいハートの持ち主だった

 

「人生の質を上げる学び」 (2021.4.28

 

2021.4.15の記事でお話ししたミア・シーガル先生(フェルデンクライス博士の最初のアシスタント)が、つい先週、オンラインでインタビューに答えていました。

 

その中で、あっと思ったのは、ミア先生がフェルデンクライス・メソッドのことを、“あなたの人生の質を向上させる方法” だと言ったこと。

というのも、その2週間前に、私は自分の新しいチラシに、いろいろ考えた末に、まさに「人生の質を上げる学び」という言葉をのタイトルとして選んでいたからです! → ※最新のチラシはこちら

 

ミア先生は、「人生の質を向上させる」と言ったのに続けて、「あなたの能力や潜在力を“磨く(洗練させる)こと”だ」と言ったのです。

「“洗練させること”というのは、実際にはあなたがしていることをすることでできる。そして、“あなたがしていることをする”と言っても、ただちに壁を登るような(大それた)ことである必要はない。たとえば、あなたが椅子に座っているとしたら、今より良く(楽に)座れるようになることなのです」と、ミア先生は言いました。

 

今より良く(楽に)椅子に座れるようになること。そんな小さなことの積み重ねが、人生の質を高めていくのですね。その方法が、フェルデンクライス・メソッドであり、腰痛や肩こりを軽減するといったことは副次的なもの。

フェルデンクライスの本当の目的は、人生の質を高めることにこそあるのです。

      *  *  * 

 

ところで、兵庫県では3度目の緊急事態宣言が発出され、私がレッスンで主に使っている神戸市と兵庫県の会館はすべて閉館中。

そこで、1年前と同じく、またオンラインの動画レッスンの制作を始めました。

今回は、悩んでいる人も多い「首・肩のレッスン」と「脚(股関節・膝・足首)のレッスン」のシリーズです。

ただ、収録・編集するのには、かなり時間がかかるため、巣ごもりのGW中にもレッスンができるように、昨年制作した動画レッスンを再構成して先にオンライン配信することにしました。

 

フェルデンクライス博士は何度も、からだの主要な5本のライン(線)について述べていますが、主要な5本のラインとは、背骨・両腕・両脚のこと。

今回先に配信するのは、そのうちの、背骨のレッスンで、人間の動きにとって一番重要な要素です。

そして現在、収録・編集にかかっているのが、体の主要なラインの残りの4つ:両腕(肩・首)と両脚(股関節・膝・足首)のレッスンです。

 

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余談ですが・・・
夕方(8時間前)に、ミア先生にインタビューを見た感想(チラシのタイトルに人生の質を上げる学びとつけたことなど)をメールで送ったら、さっきミア先生から返事が届いていました!
「感想をシェアしてくれて、ありがとう。あなたがこのメソッドを、あなたの中にも他の人たちにも広げていって、世界をより良くする助けになると、確信しているよ」と。

ミア・シーガル先生のレッスン (2021.4.15

 

私の大好きな山吹が咲き、フリージアが咲き、チューリップが咲き、つぎつぎと花開いて春爛漫です。

 

ちょうど1か月前の2週間、私は、フェルデンクライスで世界一有名な、ミア・シーガル先生(フェルデンクライス博士の最初のアシスタントで、伝説的な人物)の特別レッスンを、Zoomで受けました。週に3回、合計6日間。

ミア先生の娘のレオラ先生が、「興味があるだろうと思って」と声をかけてくれました。

ごくごく少人数に限定された、アドバンスなレッスン。

 

同じく声を掛けられていたのは、ほとんど全員、2016年と2017年にアメリカで行なわれた全4回のセミナー(マスター・プラクティショナー)の同級生でした。

PCの画面越しですが、3年半ぶりに会えて、また一緒にレッスンを受けられて、懐かしかった!

自由にミア先生に質問したり、みんなで誰かの動きを見たり、誰かの質問からレッスンが発展したり。

ミア先生も、いつも以上にリラックスしていて、親密で寛いだ雰囲気でした。

 

ミア先生たちがいるカリフォルニアは夕方の4時、日本の私は朝8時、シンガポールの友人たちは朝7時!

(レオラ先生からは「日本は朝9時」と知らされていたのに、実は3月からアメリカはサマータイムで、本当は朝8時だった。それに気づいた友人が、初日の朝7時半に電話で私を起こしてくれて、間に合いました!)

 

世界中の別々の場所にいて、別々の時間帯(ほとんど昼夜逆転)にいながら、たしかに同じ特別な時間を共有、それもインターネットを通じて。

まさに“風の時代”“水瓶座の時代”ですね。

 

さて、新しい元町レッスンのシリーズは、そのミア・シーガル先生がかつて、サンフランシスコで一般の人向けに行なって大成功を収めたワークショップのレッスンのシリーズです。

今月は25日(日)の午前。 →  くわしくは、こちら

 

★ちなみに、ミア先生はこんな人。

https://www.youtube.com/watch?v=bXryf5n6YRY&t=22s

    

 

ウェバーさんと目のレッスンのこと 2021.2.8

 

 この2月、三宮KCC(神戸新聞文化センター)で開催中の公開講座

見ることを学び直すフェルデンクライスの、目のレッスン

 残りの日程は2/13(土)、2/21(日)

 

現在、兵庫県も緊急事態宣言が発出中ですが、「今」目がつらい人にとっては、目の学びは「不要不急」ではなく、差し迫ったものなので。

 三宮KCCの公開講座は、こちら

 

 とは言え、コロナ感染拡大で外出しにくいのも事実。  

 そこで、今回は急遽、オンラインレッスン(期間限定Youtube)も作りました。

 今回は特別に、フェルデンクライス教師仲間にモデル協力してもらい、動きの動画付き。 ※オンラインレッスンは、こちら

 

 この目のレッスンのシリーズは、全米ベストセラー『脳はいかに治癒をもたらすか―神経可塑性研究の最前線』(ノーマン・ドイジ著、紀伊国屋書店刊)で詳しく紹介されたデイヴィッド・ウェバーさんが、世界中で行なったワークショップを紹介するものです。

 

当時IT業界でバリバリ働いていたウェバーさんは、43歳で失明、盲目に。絶望の淵にあったとき、フェルデンクライス・メソッドに出会い、やがて視覚を取り戻して、のちにフェルデンクライス教師となりました。

そしてフェルデンクライス・メソッドで脳を活性化して再教育して視覚を改善する「目のレッスン」を作ったのです。

 

 この全米ベストセラーの本のことは、2015年にオーストラリアのフェルデンクライス教師仲間が「すごい本が出たよ」と教えてくれました。

待望の日本語版が出版されたのは2016年。500ページを超える(そして字が小さい)分厚い本でしたが、面白くてわくわくしながら読み進めました。第5章と第6章が、フェルデンクライスについて書かれています。

 

私は2017年に、ウェバーさんの連絡先を探し出し、思いきって連絡を取りました。そして、私が日本人のフェルデンクライス教師であることを伝え、このワークショップのレッスンを私が教えてもよいか尋ねました。

するとウェバーさん本人からすぐに返事があり、親切にも「あなたが自由にこのレッスンを教えてくれたら、うれしいです」と言ってくれたのです。

 また、私が「この本に出てくるカール・キンズバーグ先生は、私の指導者養成コースのトレーナーの1人です」と伝えたら、「あなたが私のメンターのカール先生の元で勉強したと聞いて、うれしい。あなたは幸運でしたね」とのことでした。

 

 そういうわけで、私はウェバーさんから、これらのレッスンを自由に教えて良いという許可をもらいました。

でも私は、アレンジなどせず、できる限りウェバーさんが教えた形のままでお伝えしたいと思っています。

 

 実は、ウェバーさんは2018年にお亡くなりになったそうです。私が連絡を取った翌年に。それを昨年知りました。

あのとき、思いきってウェバーさんに尋ねて良かったと思いました。

  

 ウェバーさんは、眼科医を訪れたとき待合室で、盲目になりつつある患者や重度の視覚障害者たちに囲まれて座りながら、「自分が苦境から脱したら、何も手を打てないでいる人々をぜひ助けたい」と考えたそうです。

 そして、フェルデンクライス・メソッドこそが、その願いをかなえるためのツールであり、後にそのツールを磨き上げたものが、ウェバーさんのワークショップだったのです。

 

 “見ることを学び直すフェルデンクライスの、目のレッスン

    ★三宮KCC公開講座は、こちら

  ★オンラインレッスンは、こちら

  

チョコレート職人 2020.2.19

 

もう12年も前になるが、NHK(テレビ)フランス語講座の番組の中で、あるチョコレート職人の男性が紹介されていた。もともとフランスで制作・放映されたものだったようで、輝くようなチョコレートの美しい映像とともに、「チョコレートに魅せられている」と語るその職人さんの、眼鏡をかけた機嫌の良い、気さくで楽しそうな丸い笑顔が印象的だった。

あぁいいなぁ、と思って、その部分の録画を保存した。

 

先日、ヴァレンタイン・デー間近のNHK「グレーテルのかまど」(とてもセンスが良い、と私が思っている番組)で、「究極のチョコレートケーキ」が紹介された。

 “長年チョコレート界のトップに君臨”し、“ショコラの帝王”とも呼ばれてパリの一等地に店を構えるショコラティエが、今回番組のために、自身の最高傑作のケーキのオリジナル・レシピを考案してくれたという。

「つくってみて!」と言う彼の笑顔を見て、あれっ、と思った。

ひょっとして。

 

しまっていた録画を探しだして見直すと、やはり、あのフランス語講座で見たチョコレート職人その人だった!

その名も、ジャン=ポール・エヴァン。

 

「ジャン=ポール・エヴァン」といえば、“チョコレート好きなら知らない人はいないであろう超有名店であり、高級チョコレートの代名詞、なのだそうだ(私は全く知らなかったけど)。

 

あぁ、やっぱり、あの人だ!と分かったときの、記憶がピタっと符合した爽快感。そして、「昔の知り合いが、実はすごい人だったのだ」というような驚き。

12年前の放送で、気さくな笑顔から市井のチョコレート職人(ショコラティエ)だと思い込んでいたら、実はエヴァンさん、その20年以上も前の弱冠28歳で「フランス国家最優秀職人章」(日本の人間国宝に相当)を受章していた、すごい人だった。全く偉ぶらないところも、すごい。

 

折しも2月初旬。「ジャン=ポール・エヴァン」を検索したら、百貨店のヴァレンタイン・イベントに合わせて、エヴァンさんが来日することが分かった。最終日のヴァレンタイン当日は阪急梅田店に来るというので、せっかくだから、本物のエヴァンさんに会ってみたいと思った。

 

その日、三宮でのレッスンが14:10に終わった後、行くつもりだった。エヴァンさんの滞在時間はたしか1416時で、十分間に合う。

レッスン後、いったん元町まで戻って用事を済ませ、念のため手帳を確認したら、エヴァンさんの滞在予定は15:30までだった。

気づいた時点で、15時前。(元町駅まで歩き、さらに電車で大阪まで30分。)

うわ~今から行ってもギリギリ間に合わない!どうしよう?

迷ったが、一か八か、行ってみることにした。

 

三宮駅で新快速に乗り換えて大阪へ。阪急梅田本店の1階に足を踏み入れた時点で、すでに 15 :35

ダメでもともとで9階チョコレート特設会場に行ったら、圧倒的な売り場の広さと出店数で、人がごった返していた。

黄色のジャンバーの売り場案内の人をつかまえ「 ジャン=ポール・エヴァンはどこですか?」と聞いたら、ずーっと一番奥まで案内してくれ、ようやく売り場に着くと、なんと、店の前でジャン=ポール・エヴァン本人がスタッフたちと話をしていた!立ち去る直前という感じで。

 

そこも人込みだったので、それとなく斜め後ろから、エヴァンさんがしゃべっている様子を間近で見ていた。本物のエヴァンさんの眼鏡は思っていたより度がきつくて、眼鏡越しに目が拡大して見え、まじめな顔でスタッフと言葉を交わしていた。

 

しばらくするとエヴァンさんは、他の店の店員さんたちにも機嫌よく挨拶をしながら、スタッフたちと店を立ち去った。そのまま私も少しついて行き、 特設会場を離れてエヴァンさんが通訳と二人になったところで、思いきって、エヴァンさんに話しかけた。

「神戸からあなたに一目会いに来ました」と言ったら、エヴァンさんはあの笑顔でにこっとして「Merci!(ありがとう!)」と言って、気軽に握手もしてくれた。

 

エヴァンさんの顔を見るだけのつもりだったけど、やっぱりせっかくなので、「ジャン=ポール・エヴァン」のチョコレートも買った。上等のチョコレートを、ほんの少しだけ。

  

 あきらめずに行った甲斐があったというものだ。

帰りは、閉幕間近の「カラヴァッジョ」展を見に、あべのハルカス美術館あべのハルカスは、大阪・天王寺にある高さ日本一のビル)

 

本物尽くしの1日だった。

 

続・首里城再再建 2019.11.7) 

 

4日前に、私が寄付を託した「ふるさと納税」サイトが

「首里城再建支援プロジェクト」の進捗状況を知らせてきた。

 

目標の1億円に対し、現在7日目で達成率395%の395,498,827

2万8千を超える人がこのプロジェクトに参加している。

もちろん、これとは別の形で首里城への寄付をしている人が、日本中にいる。

それでも、本当に首里城を再建するためには、まだこの60倍のお金がいる。

 

それより何より、沖縄のことを思っている人間が本土にもいることを伝えたい。

だから、1人でも多くの他府県の人が、寄付に参加してほしいと思う。

   https://www.furusato-tax.jp/gcf/717?top_ttarea

 

首里城再再建 2019.11.3) 

 

「首里城炎上」に、沖縄の皆さんの心痛はいかばかりかと、私も胸が痛い。

寄付の方法を探したら、沖縄県と那覇市が、ふるさと納税サイトを

利用し寄付を募っているという。

私もわずかながらそのサイトから寄付をした。

    https://www.furusato-tax.jp/gcf/717?top_ttarea

 

1億円の目標(募集期間152日)に対して、2日余りで84.7%達成の

現在8479万円集まっているという。

でも、1億では全然足りない。

焼失前の首里城復元には30年で240億円かかったそうだ。

1人の寄附はわずかずつでも、日本中からさらに寄付が集まればと思う。

 

モンゴル乗馬ツアー、幻の湖へ 2019.7.25) 

 

一生に一度はモンゴルへ!

ということで、先週、初めてモンゴルに行ってきた。

車も入れない山奥の幻の湖をめざす、6日間の乗馬ツアー。

 

モンゴルは乾燥がひどい、と聞いていたのに

出発前の週間天気予報では、毎日毎日すべて雷雨。

過去8年間、年に3回もモンゴルツアーを引率している先生が

「こんな最悪な天気予報は初めてです」と言った。

 

参加者11人、私以外ほとんど全員がリピーターで、

今までになく過酷なツアーだったらしい。

予報に反し、最初の2日は何とか晴れたが、

3日目には、午前中は気持ちのいい青空だったのに

午後は天気が急変、大雨になった。

何度も雷鳴が轟き、ときどきガシャーンと落雷する広い草原を、

休憩なしに馬で進むこと、3時間。

雨ガッパを着ていても、ブーツの中はグショグショ。

 

それでも、やがて雨が上がり、日が差し始めると

あたりの草ぐさの露がダイヤモンドのように煌めき、

むこうに流れる川の水面がキラキラした。

 

またある日には、雨が降り続く道中、急遽、

途中にある遊牧民のゲルを借りて昼食を取れることになった。

ゲルの真ん中にある薪ストーブを燃やしてくれ、

私たちは上着を脱いで、束の間、乾かすことができた。

そのそばで、同行しているモンゴル人のお母さんが

小麦粉をこねて揚げパンを作ってくれて、

厚めに切ったベーコンとキュウリのピクルスと一緒に

食べたサンドイッチの、おいしかったこと!

 

昼食後には、また雨の中。せっかく生乾きになった服は

またビショビショになるのだが、

束の間でもストーブで暖を取れた、ありがたさ。

 

結局、6日間のうち中3日は、終日雨や、降ったり止んだり。

雨の中の野外トイレは(真っ暗な夜はとくに)悲しいものがある。

でも、雨が降ったからこそ見られる風景、味わえることもある。

 

15002000メートルの高地で、そこらじゅう高山植物のお花畑。

日本の高原でもよく見るワレモコウや松虫草、ナデシコに、

六甲山・高山植物園で珍重されているエーデルワイスの仲間も

当たり前のように咲いている。

学生のころ、夏には日本アルプスや大雪山系に登っていたが、

これほどの花畑を見たことがない。

種類豊富な色とりどりの花畑が、ずーっと遠くまで広がっていた。

そして、馬で進むにつれ、咲く花の種類が変わっていく。

晴れた日には晴れた日で、雨の日には雨の日で、美しい。

 

今回のコースは大草原だけではない。

急こう配の山道を登ったり、石がごろごろしている急坂を下ったり

(万一馬が転べば人間もろとも谷へ真っ逆さま!雨の日でなくてヨカッタ)

川も何度も渡ったが、急な流れに馬が流されそうになったり、

沼地を馬が脚を取られながらズボズボ行くこともある。

そしてもちろん、広い草原を、駈足で何キロメートルも走った。

 

最終日は、ついに快晴。

アニメ「アルプスの少女ハイジ」さながらの風景の山に

ぽくぽく登り、最後にもう一度、草原を駈足で疾走! 

 

楽しみにしていたモンゴルの満天の星は見損なったけれど

(初日と最終日に泊まったキャンプ地は一般向けで煌々と明るすぎ)

それはそれでよし。

 

幻の湖のほとりでキャンプした日、

皆が寝静まった夜中にテントを出たら

山の上にのぼる満月が、湖面に金色の道をつくっていた。

 

 Photo by O.Kozue & K.Kentaro

写真上:幻の湖に昇る山羊座満月

下左: 幻の湖で。この2時間後には天気が急変、土砂降り&落雷の草原を…

下中: 急こう配を無事下り終えて、木洩れ日の森を行く

下右: 草原を快走!

 

 ※大雨時の写真はありません、それどころではなかったので。悪しからず。

 

鶴林寺の夏椿 (2019.6.22

 

数日前、加古川に行った帰りに、鶴林寺に立ち寄った。

聖徳太子ゆかりの由緒あるお寺。

失礼ながら、こんなにも立派なお寺だとは知らなかった。

 

夏至間近で、5時前でもまだまだ日が高く照り、

暑いような陽ざしの中で、夏椿が咲き輝いていた。

こんなにいっぺんに咲くのは珍しい、とお寺の方がおっしゃった。

 

夏椿は、日本では育たないという沙羅双樹の代わりに植えられている。

お釈迦さまの入滅時、まわりの沙羅の木が一斉に枯れ、

こずえがまるで鶴が翔ぶかのような姿になったという。

それが、「鶴林寺」の名前の由来になったそうだ。

 

緑のパワースポット (2019.5.15

 

この10日ほどの間に、いくつかの寺社を訪れた。

私がかねがね、ここはパワースポットだ、と思っているところ。

兵庫県多可町の青玉神社、兵庫県明石市の住吉神社、

それに京都府(ほとんど奈良)の浄瑠璃寺と岩船寺。

 

新緑の5月は本当に、目にも心にも気持ちがいい。

 

美しい新緑を見るたびに、フェルデンクライスの先生が

「緑一色の絵の中にも、さまざまな色合いの緑色があること」

を例に、“識別能力”について説明されたことを思い出す。

“識別能力”とは、違いが分かること。

同じ山でも、また同じ木でも、

一口に「緑」と言っても、色合いの違いもあれば濃淡もある。

フェルデンクライス博士は、

「学びのためには識別能力が大事だ」と何度も言っていた。

 

さて、

多可町の青玉神社は、175号線を北上した道路沿いの山の麓にある。

境内には樹齢何百年の大杉が林立していて、涼しい風が吹き渡る。

すぐそばに、名和紙の杉原紙の博物館と道の駅もある。

 

魚住の住吉神社は、藤の花で有名。

人の多いGWを避けて1週間ほど後に行ったら

花の盛りが過ぎていた。

神社前の、海に面した松林には万葉集の歌碑がある。

柔らかな青の海の向こうには淡路島。

青天に松の影は、まさに万葉の歌を思わせる。

 

浄瑠璃寺から岩船寺へ、石仏が点在する山道を行く。

新緑の気持ちの良いこと!(7月並みの暑さだったが)

浄瑠璃寺の本堂の前には池が広がり、気持ちが寛びろする。

反対側には朱塗りの三重の塔がある。

明るい境内から本堂に入ると、洩れ入る自然光のみで、ほの暗い。

阿弥陀如来の仏像(国宝)とともに、思いがけず

今だけ御開帳の、秘仏「吉祥天女像」を拝むことができた。

松尾大社の山吹 (2019.4.23)
日曜日、用事で京都の方へ行ったついでに
足を伸ばして、松尾大社(嵐山の一つ手前)へ。
大好きな山吹の花が、そろそろ見頃かと期待しながら。
松尾大社は酒造りの神様として有名だが、
境内いっぱいに咲く山吹の花でも知られる。
珍しい白色の山吹が見られる“ありがたい”庭園があるけれど、
でもやっぱり、山吹は山吹色でなくっちゃあ。
幸運なことに、今年は山吹がちょうど満開
さらに幸運なことには、
行ったその日が、たまたま祭りの日だったのだ。
昼前に駅に着き、松尾大社の大きな鳥居に向かうと、
向こうから赤い神輿を担ぐ勇壮な人たちの群れ。
本殿前で、神輿をそろいの白い法被の男たちが
掛け声とともに揺するのを間近で見た。
最後の一基が境内を何度も巡った後、門から出て行くと
観光客もついて行ったのか、人影もまばらに。
静かな境内に、山吹色だけが緑に映えて賑やかだった。
姫路城の桜 (2019.4.17)
 
先日、姫路城へ行ってきた。
桜はすでに、かなり散っていたが、
それでも名残の桜が綺麗だった。
 
夕方5時ごろで観光客はまばらだったが、
日本人よりも外国人の方が多かった。
 
正面の門から入って、広場の向こうに見える姫路城。
すぐそこまで近づくにつれ、ますます格好いい。
さすがは、お城好き1万人がダントツ1位に選んだ城だと、
兵庫県人として、一人悦に入った。
 
広場から西に、すこし傾斜を上ったところに
少し秘密めいた庭園があった。
芽吹き始めたケヤキや、若葉と小さな花をつけたカエデ、
それに幾本もの桜の木が立ち、ほの暗い。
辺り一面、桜の花びらが散り敷いて
淡いピンクの雪が、うっすらと積もっているようだった。
帰り際、振り返ると
西日が差して、「白鷺城」が、うっすら茜色に染まっていた。
広場の空を、白鷺が一羽、まっすぐ飛んで行った。   

 

嘉納治五郎とモーシェ・フェルデンクライス (2019.1.12

 

今週始まった大河ドラマ『いだてん』初回では

嘉納治五郎が大きくクローズアップされていてワクワクした。

それも、演じるのはあの役所広司さん!

1年前の『陸王』以来、何て上手な役者さんなんだろう、と

見るたびに目が離せない。

 

その役所さんが演じる嘉納治五郎は、とても表情豊かで

ちょっと可笑しみがあって、非常に魅力がある。

(もちろん、あの脚本家のテイストに仕上がっているわけだが)

しかし、本当の嘉納治五郎は、少なくとも見た目は違ったようだ。

 

 

「国内だけでなく海外でもよく知られた」柔道の創始者

とテレビなどで紹介されることが多いが、

今回の大河ドラマで、初めて嘉納治五郎を知った人は

日本でも少なくないのではないか。

 

そう言う私も、30代半ばまで嘉納治五郎を知らなかった。

それも、教えてくれたのは、アメリカ人。

10年前、フェルデンクライス指導者養成コースで

教育ディレクターだったアメリカ人の先生から聞いたのだった。

 

フェルデンクライスと柔道のつながりを説明する中で

「日本人だから知っているでしょう?」という感じで紹介された

“柔道の創始者、プロフェッサー・ジゴローカノー”の名前。

ところが、私だけでなくクラス全体も、ぽかんとしていて

その様子に、先生の方が驚いていた。

 

その後、自分でも調べてみて、嘉納治五郎が神戸出身であること、

アジア初のIOC委員で、オリンピックの東京誘致に成功したこと、

あの菊正宗の縁戚であり、あの灘中・灘高の設立にも関わったこと、

などなど知った。

 

フェルデンクライス・メソッドには柔道が深く関わっていて

その1000を超えるといわれるレッスンには、

「ジュードー・ロール」(柔道の受け身のこと)と言うレッスンもある。

 

が、単にフェルデンクライスが柔道に影響を受けたのみならず、

実は、嘉納治五郎の方がフェルデンクライスを見込んで

柔道のヨーロッパへの導入を彼に託したのだ。

そのきっかけとなった嘉納との運命的な出会いについて、

フェルデンクライスが1977年に語ったインタビューが残っている。

 

嘉納について、フェルデンクライスは次のように描写した。

 「彼ははっきりと感情を表に出さなかった

 ・・・知ってるでしょ、日本人は無表情なんだ。

 でも、彼は明らかに興味を持っていた。」

 

            嘉納とフェルデンクライスの出会いについて、要約はこちら

                インタビューの原文はこちら                      

    The Extraordinary Story of How Moshe Feldenkrais Came to Study Judo 

    (あのアメリカ人の先生も、このインタビューの場にいたことが後に分かった。) 

  

・・・そういうわけで、

本物の嘉納治五郎は、役所広司さん演じる嘉納のように

表情豊かな人物ではなかったようだ。

だが、熱い心と行動力で理想を実現した人物であることは間違いない。

 

蛇足。

『いだてん』初回の最後で、志ん生(ビートたけし)が嘉納のことを

「不可能を可能にした男、カノー」と洒落た。

それを聞いて、フェルデンクライスの有名な言葉を思い出し

おっ!と思ったのは、たぶん私だけではないだろう。

     "..make the impossible possible,

      the possible easy, and the easy elegant."

(「不可能を可能に、可能を容易に、容易を優美に」)

 

 

ある展覧会の、後日談2018.12.11

 

さっき家のポストに、一枚の絵葉書が入っていた。

夜に煌めくハーバーランド(神戸)を描いた絵。

 

それは、先日「一の宮をえがく」展で買った図録を

送った相手の方からだった。 ※詳細は、2018.11.23の記事参照

 

私が大変お世話になったその方は、

定年退職後も音楽にスポーツにと非常に活動的で

全国北から南まで一の宮巡り(百社以上ある)もなさっていた。

ところが昨年突然、重い病気が急速に悪化し、

今はホスピス(終末ケア病棟)に入院しているという連絡が。

余命も知れず、外出もままならないようだった。

 

だから、この「一の宮展」の図録をめくって眺めるだけでも

以前訪れた社殿やその土地土地の風景を

懐かしく思い出されるかも、と思い、贈ったのだった。

 

その絵葉書によれば、

図録が届いてから、ほぼ毎日眺めていたが、

ある絵を見て、「この画家は本物だ」と思い

実物が見たくなった。

外出する機会があったので、その折に

展覧会も観に行くことにした、とのことだった。

 

――閉館時間まで少ししかなかったのですが、

 それでも違いはよく分かり、

 (図録では分からない実物の大きな絵の)サイズ感も

つかめて、とても感銘を受けました。

 本物の良さで見られて本当に良かったと思います。

       (中略)

 図録裏表紙の立山の雄山も、大変苦労をして登った山で、

 それを克明に描いておられるので、良い思い出です。

 この画家のすごさも分かります。感謝!感謝!――

 

そんな言葉が、直筆でびっしりと書かれていて

心配していたより、ずっとお元気そうに感じられた。

 

それにしても、「この絵の実物を見たい!」と思い

実際に出かけて行ったこと!

 (以前には外出もままならないと聞いていたのに)

そして、本物を見て心が動かされたこと。

きっと体も喜んで、快癒に向かうに違いないという気がした。

(実を言えば、「一の宮」の図録にその願いも秘かに込めていて)

 

あらためて見返した絵葉書の絵は

私も一の宮展で見た西田眞人画伯の作品のひとつ、

震災後、やっと明々と灯がともった神戸の「モザイク」。

 

西田画伯が、暗かった神戸に灯った

「復活」の象徴として描いた絵だった。

 

ある展覧会で (2918.11.23

 

先日、三宮でのレッスンの後、ある展覧会に行った。

神戸出身の日本画家・西田眞人さんの、

「一の宮をえがく」展。

 

途中、住吉で用事を済ませて、六甲アイランドにある

「神戸ゆかりの美術館」に着いたのは

あと10分ほどで4時(閉館まで1時間)、というころだった。

 

受付でチケットを買うと、係の女性が

「もうすぐ4時に、団体さんが来られます」と言い、

さらに申し訳なさそうに「解説付きです」と言った。

 

団体客で、しかも大声の解説付きだったら

ゆっくり静かには観られないなぁ…と思いながら、

ともかく到着まで許す限り、ざっと絵を観ることにした。

いつもはつい、絵の横の解説からじっくり読んでしまうが、今回は

解説は飛ばし、あぁいいな、と感じた絵の前で立ち止まっては

じっくりと絵を眺めていった。

 

 

そもそも、なぜこの展覧会に来ようと思ったのか。

きっかけは、神戸新聞に私のKCCの講座の案内が載った

その隣に、この画伯の講座案内が掲載されていたことだった。

この「一の宮をえがく」展に関連して

「西田眞人先生と 但馬国一の宮を訪ねる」という講座。

                   

もともと、私は神社が好きだ。

清々しく明朗な社のたたずまいも好ましいし、

そこへ行けば自分の運気も上がる(気がする)のも楽しい。 しかも

「一の宮」と言えば、各地方で一番の、格の高い由緒ある神社である。

 

その「一の宮」の講座の隣に私の講座が紹介されるとは

 (紙面では、一の宮と私の写真が並んでいる!)

何とも“ありがたい”というか、縁起がいいというか。

しかも講師は、同じ苗字の「西田」先生(全く関係はないけど)。

 

その後、この西田画伯の展覧会の大きなポスターを、

駅などで、たびたび目にするようになった。

それで、同じ苗字にも親しみを覚えて、観に行くことに。

「一の宮」ばかり描いた絵が一堂に会する展覧会なら、

観に行くだけでも運が良くなりそうな気がする。

 

 

そうして訪れた美術館は、閉館間近のため客もまばらで静か、

明るすぎず暗すぎず、ほどよい明るさで、居心地よかった。

団体さんの到着が遅れているのか、思っていたよりも

ゆっくりと時間が流れているようだった。

 

日本画だけでなく、鉛筆のスケッチや淡く色を付けたものもあった。

神戸の田舎の風景もあれば、景勝地・布引の滝もあり、

大震災の後の神戸も、再び光が灯ったモザイクも。

それから一転、イギリスのさまざまな風景が続き・・・

さらに、伊勢神宮の内宮・外宮を描いた大きな杉戸絵、

全国の「一の宮」をひとつひとつ訪れて描かれた絵が続いた。

 

どれも、何というか、暖かさや柔らかさを感じる絵だと思った。

誠実さ、そして“祈り”も。

古く厳めしい要塞跡のあるイギリスの孤島ですら、

金色の光に包まれた海に浮かび、不思議な柔らかさと安堵感があった。

 

そうして一通り見終わったころ、団体さんが到着。

マイクを通した解説の声が聞こえてきたので見に行くと、

なんと、西田眞人画伯その人だった!

画伯は語り口も容姿も、その絵から感じた通りの

誠実で真摯で、温厚な印象だった。

 

中高年の女性ばかり30人ほどの団体客に混じって、

画伯の解説を聴きながら、絵を見直した。

やはり、聞かなければ分からないことがある。

知らなければ見えないものがある。

その一の宮を訪れて、画伯が一番心動かされた場所、

そのときの思いなどをご本人から説明してもらって

絵をさらに深く見ることができた。

 

一の宮の絵をひとつひとつ見ながら、ふと、

ある人のことが思い浮かんだ。

私が大変お世話になった方で、

今、ターミナルケアの病棟に入院して治療を受けている。

とても活動的で、全国一の宮巡りもなさっていた。

立派な御朱印帖も見せてもらったことがある。

もし、この展覧会の図録があれば贈ろう、と思った。

 

閉館時刻を少し過ぎたころ団体の鑑賞ツアーは終了し、

一同は出口からミュージアムショップへ。

団体客から1人遅れて出、ショップで図録を購入したら

係の人が「先生がサインをしてくださいますよ!」と

私を画伯の元へ連れていき、丁寧な毛筆のサインまでもらった。

サインをしていただきながらお話しした西田画伯は

見た目通りの、穏やかで優しいお人柄の方だった。

 

それにしても、何と幸運なことか。

画家本人の解説で鑑賞できることなど、そうはない。

しかも、その日は用事の先方の都合で日程が変わり、

たまたま、その日、その時間に美術館を訪れることになったのだ。

 

美術館を出たら、秋の日はすでに暮れ、外は真っ暗。

その帰り道も、あれやこれやを思い返し、思い返ししては

とても暖かいような、幸せな気分だった。

 

―今、そのときのことを思い出して書いているだけでも

心が穏やかになり、しみじみとうれしい気持ちがする。

 

中世イタリアの 2018.9.23

 

元町のトアロードから、少し路地を入ったところに

不思議な雰囲気の小さな店がある。

 

イタリアの修道士たちが丹精して作っている物を売っていて、

表の飾り窓に並んだ商品も、店の看板の文字も(日本語でさえ)

中世イタリア修道院のような、古めかしく超世俗的な感じがする。

 

その店のことを知ったのは、ネットでだった。

別の店で買ったフランキンセンスの樹脂香の使い方を調べていたら、

グレゴリオ聖歌の時代を思わせるデザインのサイトに行きついた。

フランキンセンスの樹脂香のことが丁寧に書かれているほか、

修道院で作られる蜂蜜やリキュール、香水のことも載っていた。

 

思いがけず、そのサイトに神戸のことが出てきて

よく見たら、実店舗がローマと神戸にだけ、あるという。

そこで住所と地図を確認し、レッスンの帰りに寄ってみたのだ。

 

まだ夏の名残の、暑い午後だった。

そこここに魅力的な小さな店がある、トアロードの近くを

地図通りに辿ってみたら、以前にも前を通ったことのある店だった。

そのときは、不思議な雰囲気に入ってみたいと思ったものの

閉まっているドアを開けて入る勇気はなかったが、

この度は、思いきってドアを押し開けた。

 

「こんにちは」と声をかけて中に入ると、

店内は奥に細長く、イタリアの古い薬局のような感じだった。

左右の壁の棚には、レトロな瓶に入った化粧水、蜂蜜ビネガーや

鮮やかな色の包み紙のチョコレートなどが、びっしりと並べられ、

奥にはカウンターがあって、白衣を着た男性が1人、立っていた。

 

広くない店内には、静かにフルートの音楽が流れ、

天井に近いところには旧式の扇風機があり、

近くの小さな空調機からは控えめに冷気が流れていた。

部屋の隅にはアンティークな家具が置かれ、

棚のあちこちに石膏でできた天使や聖母の白い像が置かれている。

 

「見せてもらってもいいですか」と声をかけて、

壁にかかる、修道士たちの色あせた写真を見たり

数種類の香水を試しにかいだりしていると、

白衣の男性が、冷えた修道士特製のハーブティーを出してくれた。

 

精油の並ぶ棚には、おなじみの精油だけでなく、

シクラメンやスズランといった、他では見ない精油もたくさんあり

何もかもが興味深かった。

 

「見えない世界の視力」 2018.8.24

 

何気なくテレビをつけたら、

武井壮さんがブラインドサッカーに挑戦していた。

NHK「武井壮のパラスポーツ真剣勝負」という番組。

 

この競技は、アイマスクをつけ、全く見えない状態で

転がると音が出るボールを追いかけ操る。

Jリーガーもスタジオで体験していたが、

サッカーを始めたばかりの子どものような動きしかできない。

一流サッカー選手だった人なら見なくてもドリブルできる、と思う。

だが目は見ることだけではなく、バランスも司っていることが分かる。

 

さて、ずば抜けた身体能力を持つ武井壮さんも

初めは全く見えない状態が恐くて思うように動くこともできなかった。

だが、番組でブラインドサッカー日本代表選手と勝負するにあたり

家でコツコツと、アイマスクをつけて練習したのだそうだ。

「そうすると、だんだん、動いているボールや人が、

ぼんやりと見えるような気がしてきたんです」と武井さんは言った。

 

ブラインドサッカーでは、ボールを見ることができないから、

ボールが何か(地面や人)に当たって鳴る音に、耳を澄ます。

一瞬で情報が入る視覚とは別の感覚をフルに使い、全身で耳を傾ける。

「にわかには信じがたいかもしれませんが」と武井さんは言ったが、

ぼんやりと見えてきた、というのが想像できた。

気配が見えてくるということだろうかと思う。

それを、武井さんは、

見えない世界の視力が上がった」と表現した。

 

“五感”とよく言うが、言葉によって私たちは

人間の感覚をたった5つに限定し、その他を捨て去ってはいないか。

(“五感”という言葉に縛られていない民族・部族の人々は、

今も地球上で、もっと多くの感覚と能力を使って生きているのだろう)

 

モーシェ・フェルデンクライスは

「私たちの潜在的能力は私たちがふだん使っているよりずっと大きく、

 大抵の人は隠れている能力のほんの小さな破片しか使っていない

と言っていた。

 

武井さんが短期間の練習で、暗闇状態での恐怖心を克服し、自由に動き

ボールを操れるようになったのは、彼の高い身体能力の賜物だ。

だが、この競技をする全盲・弱視の人も健視者もみな、

初めは全くできないところから、訓練を経て能力を開発したのである。

彼らは皆、私よりも、自分の潜在能力をより多く使えるようになった。

 

「これでまた1つ、この地球上で自分が遊べる能力が増えました」。

番組の最後に武井さんが言った言葉が、

みごとにフェルデンクライス博士の言葉と重なった。

 

「良い動き」とは (2018.8.4

 

昨日フェルデンクライスの教室で、「良い動きとは」という話をした。

 

フェルデンクライス博士は、

良い動きは心地良く、軽く、楽に感じられる」と言った。

頑張って、余分な力を入れてできた動きは、良い動きではない。

 

そう言いながら、以前に見た番組を思い出して

「そうそう、モーツァルトのお父さんもモーツァルトに

“軽い音楽を書きなさい”と教えたそうですよ」

と言い添えた。

 

ついさっき、昨夜録画したNHKららら♪クラシック』を見ていたら、

テーマは、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

なんと、昨日クラスで話した番組(2017年放送)の再放送だった。

 

父レオパルト・モーツァルトの言葉

軽いものを書け!

   自然で流れるように、しかも楽々と

 

フェルデンクライスが良いと思っていたのは

まさに、モーツァルトの音楽のような動きだったのだ。

 

火星、大接近 2018.8.2

 

15年ぶりの火星大接近という7月31日

明石の天文科学館主催の観望会に参加してきた。

 

会場は明石公園、受付開始は19:30

着いたのは19時前でまだ明るく、

参加者らしい人たちが、数人集まっていただけだった。

「準備中ですから、しばらく散歩してきてください」

と言われるままに、ぶらぶらして5分前に戻ってきたら

すでに長蛇の列、延々と何百メートルも並んでいた。

 

間もなく受付が開始したが、列はゆっくり進む。

親子連れが多く、小さな子どもたちがそこらじゅう走り回っている。

そのうち空が暮れていき、西には金星が白く大きく輝いていた。

南の空の高いところにも星が白く輝きはじめ、

列の後ろの人と、「あれが木星ですね」と話しているうち、

さらにあたりは暗くなり、空の色も判然としなくなり・・・

 

と思ううちに、だんだんと雲が増えてきて、

いつの間にか金星も木星もすっかり見えなくなった。

昼間はあんなに晴れていたのに。

30分くらいしてようやく受付を通過。

今度は、天文科学館(明石市)が用意してくれた

数台の望遠鏡のうちの1つに、また並ぶ。

 

火星が出る時刻になっても、雲はどんどん南から湧いてくる。

たまに、雲と雲の間から星が1つ、2つ見えるだけ。

天頂あたりに琴座のベガ(織姫星)が見えたり、

近くに牛飼い座のアルタイル(彦星)が見えたり。

家族連れのお父さんは、スマホで見える星を確認したり

子どもたちはお母さんの周りを走り回ったり。

手づくりの望遠鏡を持ってきている男の子もいた。

 

さらに30分以上も、そうやって待っていると、

「あっ、今、火星が見えました!!」と職員の方の声がして

雲から大きな火星がうっすら浮かび上がった。

待っていたみんな、私も、「おぉ~!」と拍手をした。

(ルミナリエに一斉に明かりが灯る瞬間みたいに)

 

何のことはない、

前の晩も、うちのベランダから見えていたのだ。

金星、木星、アンタレス(さそり座)、土星、 そして

赤々とした火星が、西から東へ、大きくほぼ横一直線に。

それも、晴れわたった夜空に、はっきりと。

(最近は毎晩のようにベランダから、この星々の並びを楽しんでいる)

 

それでも、長い間立って並んで、ようやく姿を現した火星は

とても大きく赤く、まさに「待ってました!」という感じ。

やっと番が回ってきて覗いた望遠鏡の火星は

期待していたよりもずっと小さかったが、

小さな子どもたちが、お母さんお父さんや友だちと一緒に

暗がりの中で、日常でない時間を楽しんでいるのも、楽しい。

 

こうやって多くの知らない者同士が

星を見るために一所に集まって、一緒に空を見上げている、

それ自体が、まれな時間。

 

馬のテリントン・タッチ (2018.7.18

 

昨日は、テリントン・タッチのワークショップのことを書くつもりが、

歓迎パーティーの抽選会のことばかり書いてしまった。

 

テリントン・タッチは、今では犬や猫、ウサギや、あらゆる動物に

応用されているが、元は、リンダ・テリントン・ジョーンズ女史が

馬に対するタッチとして始めたものだ。

さらにその源をたどれば、すでに国際的に活躍していた騎手であり

馬のトレーナーであったテリントン女史が、

「乗馬者(馬に乗る人)にとって役に立つに違いない」と思って

フェルデンクライス博士のトレーニングコースに入ったのが始まりである。

人間に対してこんなに効果があるのだから、と試しに

習っていることを馬にやってみたら、本当に効果があった。

さらに研究を続け、まとめたのが、のちのテリントン・タッチ(Tタッチ)だ。

(・・・ということはテリントン・タッチの本の最初に書いてあるが、

ほとんどの受講者は読み飛ばしており、フェルデンクライスを知らない。)

 

そんなわけで、Tタッチの理念としてデビー先生が話してくれた数々のことは、

Tタッチが初めての人にとっては乗馬界の常識を覆す新しいものであっても、

フェルデンクライスを学ぶ私にとっては、その多くは耳慣れたものだった。

 

・「正しい答え」を求めるものではない。

  うまくいかなければ、別の選択肢を試すだけ

・プロセス(過程)が大事

・呼吸を忘れないこと

・体の「中心」から動く

・「どれくらい多く」ではなく「どのように」するかが大事

・「馬(相手)に対して」何かするのではなく「馬(相手)とともに」すること

・馬(クライアント)と「一緒に」する、というのはダンスを踊るのと同じ

Less is More (より少ないほど、より多くを得る)

・ちょっとやって、休み、プロセス(処理)する時間を与える

・学びのプロセス

 

これらは何度も、フェルデンクライスの指導者養成コースで聞いた言葉だ。

でも、デビー先生から、馬という別の文脈の中で聞くと、また新鮮に感じられ、

フェルデンクライスについて別の角度から学び直しているような感じがする。

 

もともと、私はリンダ・テリントン・ジョーンズ(Tタッチ創始者)の名前を、

あるフェルデンクライス関係の本で知った。

フェルデンクライス・メソッドを馬に応用したワークを作った人として

紹介されているのを読み、「ふーん」と思っただけだった。

フェルデンクライスをアレンジして自分のワークを作っている人は

世界中にたくさんいる。

その数年後アメリカで、ミア先生とレオラ先生のセミナーを受けているとき

休憩中に先生方を訪ねてきた女性がいた。その女性をレオラ先生が

「私たちの友人で、フェルデンクライスを馬に応用した・・・さん」

と紹介するのを聞いて、「あっ、あの本にあった人だ!」とひらめいた。

その後、見ず知らずのリンダ・テリントン・ジョーンズ女史に

サインをもらいに行ったことは、言うまでもない。

 

昨年、初めてのTタッチ・セミナーで、デビー先生が

「馬が自分の体を把握できていない」と言ったのが、ちょっと驚きだった。

人間とくに大人は、そういうことがよくあるが、「動物なのに?」という感じ。

また、「馬にはそれぞれ個性がある」というのも、

当たり前のことだが、本当には分かっていなかった。

あんなに大きな体なのに、あんな軽いタッチでも感じられることも驚きだ。

(ハエが止まっただけであんなに嫌がるのだから、当たり前だけど)

 

デビー先生は、

「馬たちは、今この瞬間、彼らができる最善のことをしている」

と言う。

 

たとえ人間から見て良くないふるまい(たとえば噛みつくとか)

していたとしても、

それには理由があるから(体に痛みがあり、強いブラッシングを嫌がっているとか)であり

単に悪いふるまいだけをやめさせても意味がない。

馬のそのふるまいは、「痛いから、やめて!」という合図なのだから。

馬が「やめてよ!!」と叫び出す(=噛みつく)前に

もっと小さな、ささやきのうちに馬の気持ちを聴きとり、理解して

こちらの行動を変えるなら(もっと優しくブラシをかける、痛い場所を避ける)

馬はこちらを信頼してくれる。

 

・・・デビー先生の言葉を書き起こしていると、

あぁ、私がフェルデンクライスでしょっちゅう言っていることと同じではないか。

「体の痛みは、『それ以上やっては体が壊れるからやめなさい』

『やり方が間違っているから、変えなさい』という体の合図、警報。

それを無視してやり続ければ、警報(痛み)はますます大きくなります」と。

 

 

デビー先生は、「馬は偉大な教師です」と言った。

馬たちは、“今、ここ”に存在しているから。それに対し

私たち人間は、ともすれば未来を心配したり、過去を後悔したりする。

また、人間は、決めつける傾向がある(「この馬は噛みつく馬だ」など)。

決めつければ、彼らはそれ以外になりえない

でも、ジャッジすることなく、

「この環境で、この馬はよく頑張っているんだ」と理解をもって馬を見るなら

馬も変わる、とデビー先生は言った。

 

今年も、デビー先生の珠玉のような言葉がいくつもあった。

私が何度質問に行っても、いつも笑顔で迎え、人として尊重してくれる。

世界中を飛び回ってTタッチを教えながら、決して偉ぶらない。

生徒に対していつも肯定的で、

足りないことを指摘するのではなく

できていることを褒めるデビー先生の姿勢は

センタードライディングのスーザン・ハリス先生と本当によく似ている。

 

こんな先生に、私もなりたい、と思う。

 

 

日本一暑い (2018.7.17

 

この連休で、岐阜に行ってきた。

今年も「Tタッチ」ワークショップに参加するために。

その岐阜は、昨日も一昨日も、日本の最高気温を記録したのだった。

(昨日私がいた岐阜市は、最高気温39度!)

 

冷房が効いた室内のセミナーだけならいいが、

馬のワークショップだから、半分は外の厩舎と、たまに炎天下の馬場で。

 

それはともかく、

今年も、本当に気持ちがあたたかくなるワークショップだった。

 

参加者が熱中症にならないように、気持ちよく参加できるように

細やかに気づかってくださる畜産センターや岐阜市乗馬会の皆さん、

そして馬たちと、もちろん人への肯定感と愛情にあふれたデビー先生。

馬を愛し、大切に思う人たちの集まりだからか、

参加者もみんな、“いい人”ばかり。  とにかく居心地良い場なのだった。

 

私はまだ2回目の参加だが、

去年初めて参加したときに「乗馬を始めてまだ1か月です」と

自己紹介したことを、再会した時に覚えてくださっていた方たちもいた。

テリントン・タッチは、日本ではまだマイナーなのに

乗馬超初心者の私がこのワークショップに参加していることに驚かれ

(センタードライディングでも驚かれた)

「感度が高いですね!」と言われた。

そう、私は、すばらしい先生や、これは!というメソッドを見つける

アンテナが高いのである。

 

1日め夜の歓迎パーティーに、毎年恒例というお楽しみ抽選会がある。

昨年初めて参加した時に驚いたが、この抽選会の賞品は豪華で、しかも

皆とてもセンスが良く、何かしら馬に関係するモチーフがついていた。

昨年一番高価だったのは、COACH(馬車がトレードマーク)の小さな財布だった。

自分のくじ運に何の期待もしていない私が、抽選会には目もくれず、

せっせと御馳走を食べていたところ、

なぜか、2番目に高価な目玉商品の、革製の馬のチャームを引き当てた。

そのときも、みんなから「可愛い!!」と羨ましがられたが、

1年ぶりの再会でも数人が「あのチャームを当てた人!」と覚えてくれていた。

  

そのとき言われた

「毎年参加していても1度も当たったことがない人もいるというに、

西田さんは、来年も絶対ワークショップに参加しないとダメですよ!(笑)」

という、ある参加者(根は親切)の言葉を半分真に受け、今年も参加した。

だが、もうひとつには、

そのチャームを買ってきてくれた岐阜市乗馬会のOさんの

「馬の神様に呼ばれたんよ」という言葉も、心に響いたのだった。

 

そして今年の抽選会では、1番初めに私の名前が呼ばれて(皆もびっくり)

今度は可愛い馬のスリッパが当たった。

 

どうやら馬の神様に愛されているらしい。

          

  

genten(ゲンテン)馬のチャーム →

 

※画像:gentenのウェブサイトより

https://genten-onlineshop.jp/pc/item/detail.cgi?itemCd=100_40780-07&itemStat=1

 

2度目のパーソナルカラー診断 (2018.6.20

 

先日、人生2度目の「パーソナルカラー診断」を受けた。

 

最初に受けたのは15年ほど前。

カラーを勉強し、資格取得目前の友人からだった。

そのときは、「秋タイプ」と言われ、

私に一番似合う色はこれ、2番目はこれ、と教えてくれた。

 

何年かたって、その友人に尋ねたところ、

「実は、秋タイプか春タイプかで迷った。

夏タイプもあり得る、でも冬ではないと思った」とのことだった。

 

それを、カラーの知識がある美容師さんに話したら、

「秋タイプではないでしょう」と言われた。

それなら、本当はどのタイプなんだろう?と思ううち、

きっかけがあって、もう一度、診てもらうことにしたのだ。

 

最初に診てくれた友人は、元々とてもセンスの良い人だけど

当時はまだまだ経験数が少なかった。

だから、今度は長年のキャリアがある人に、と決めていた。

 

当日は、友人とその友人と3人で受けたが

最初に受けた人は、すぐにカラータイプが判明。

私の番になり、友人に診てもらった話をしたら、カラー講師から

あっさり、「いや、秋タイプではないでしょうね」と言われた。

 

ところが、進むにつれ「う~ん、この方は難しい~」

「何十年もやってるけど、久々に難しい方だわ~」と言われた。

 

一口に「赤」と言っても幅があって、それぞれタイプごとに

顔が明るくなる色合いと、老けて見える色合いがある。

私の場合は、どれにも当てはまる、という色がたくさんあって

なかなか決まらなかった。

 

いろいろ試して、ようやく落ち着いたのは、意外にも「秋」。

キャリア30年以上のカラーの講師が、私の友人のことを

「“秋”だと分かったのは、すごいですね」と褒めてくれた。

 

そして、私に2番目に合うのが「冬」タイプだと分かって驚いた。

冬タイプのキッパリした色は似合わないと思っていたので。

 

結局、私は「オータム/ウィンター」というタイプで、

「濃くて、はっきりとした主張のある色」がよく似合うのだそうだ。

逆に、春タイプの淡い優しいパステルカラーは、似合わない。

 (色は性格を表しているのだろうか?)

 

いったんタイプが決まったら、後は、次々と

私に似合う色の布を合わせて見せてくれ、その後、

私が持参した何着もの様々な色の服を、

「これは似合う」「これは似合わない」と教えてくれた。

 

その日、白シャツの上に着ていった明るい薄緑のカーディガンは、

残念ながら似合わない色だと分かった(今まで何度も着ていたけど)。

 

でも、友人が私に一番似合うと言っていた色はもちろんのこと、

自分でも似合うのでは、と思っていた色が、やはり似合うと分かったり、

とにかく好きだった、私が見て気持ちいい色が、私に似合うと分かったり、

今まで好みではなく着ようと思ったこともない色が、案外似合うと分かったり、

とても面白かった。

 

白は、どのタイプの白でも私の顔色が変わらなくて、珍しがられた

友人が私にとても合うと言っていた濃い赤、それから濃い青も合うので、

カラー講師から冗談で、「フランスの国旗が似合う人」と言われた。

 

そして、「あ、やっぱり」と思ったのは、こげ茶や濃い茶色が似合うこと。

以前は「茶色が似合っても、うれしくない」と思っていたが、

あるとき、こげ茶のセーターを着て鏡を見たら、意外と良い感じだったのだ。

 

学生のころは「私は赤やピンクは絶対に着ない!」と思っていたけど、

 30代になって、赤やピンクも「綺麗」と思うようになり

少しは人間の幅が広がったと思う。

だから、「こげ茶も良い」と思えるようになったのは、これまた良いことだ。

 

もうひとつ、うれしかったのは、

私の大好きな山吹色 や黄色(ひまわり、マリーゴールド、卵の黄身の色)が、

その先生によれば、一番私に似合うこと。

 

意外だったが、ターコイズ(緑がかった青)も、とても似合うらしい。

昔は、ターコイズは人工的な色だと思っていたけど、

自分に似合うとなったら、急に好きになった。

 

後日、カラー診断書や写真を送ってくれたのも、

われながら不思議なくらい楽しくなった。

カラー診断は、もちろん自分を客観的に見られる良い機会だけれども、

それだけではなくて。

何がそんなに楽しくなったかといえば、

今回のことで、自分の可能性や幅が広がった気がすること。

可能性が広がる、というより、“自分の可能性に気づく”という感じ。

 

自分では似合うと思っていなかった(好きでもなかった)色が

似合うと知って、それもいいなぁと好感がもてたり。

元々好きだった色が、私にとても合っていると分かって、自信がもてたり。

 

それが、「あぁ、フェルデンクライスと一緒だ!」と発見して、わくわくした。

 

フェルデンクライスって、つい私もチラシなどに

「体の使い方が良くなる」「肩こり・腰痛が軽減する」と書くが(それもあるけど)

それよりもっとポジティブ、前向きなことなんだよなぁ、と改めて思ったのだ。

 

何がカラーと一緒かというと、

元々自分が持っていた可能性や潜在能力(本当は似合うのに着ていなかった色、使っていなかった体の部分、今までできなかった動き)に気づく、

それが使えるようになるところ、

今までとはまた違う部分が、自分のものになる(人間の幅が広がる)ところ。

 

「これも私に似合う」と新たに分かった色を町で見かけたら、

それも私の一部になったような、私の領域が広がったような気がした。 

 

「そよ風」の定義 (2018.5.13

 

「風」の定義は何か?

辞書によれば、「空気が流れ動く現象」。

だが、これではよく分からない。

まして、「そよ風とは?」と言われても、

「風」を頬に一度も感じたことがない人には

こんな言葉の説明は、何の意味もない。

 

ある人から、こんな話を聞いて、

“あぁ、まさにフェルデンクライスだ”

と思った。

 

最近のテレビの健康番組でも、肩甲骨や股関節や、

さまざまな情報があふれている。

一般の人も「肩甲骨」の名前やその形すら知っているだろう。

でも、頭で「分かっている」こと、

「こうであるべき」という外側の知識とは別に、

いったいどれだけ、自分の体の中で、内側の感覚として

感じられているだろう?

 

フェルデンクライス博士の金言の一つは

自分が何をしているかが分かれば、自分が望むものを得られる」。

しかし、自分が何をしているかが分かるためには、

まず「自分を感じられ」なければならない。

当たり前のようで、実は簡単なことではない。

 

指導者から「力を抜いて」「頑張りを減らして」と言われても、

「頑張っている自分」が自分で感じられなければ、変わりようがない。

でも、ある拍子に「不要な力が入らない」という体験をしたとき、

頑張っている状態と不要な力が抜けた状態の

“違い”が感じられれば、変わることができる。

    教わる側はもちろん、まずは指導者自身も身体感覚を磨く必要があるのだが。

 

今、ちまたでは「インスタ映え」が流行しているらしい。

レストランで見栄えのいい料理が運ばれてきたとき、

同席の人を待たせて、まず写真を撮る(ハタ迷惑な)人がいる。

なかには、写真を撮るためだけに料理を注文して

肝心の料理に手をつけずに帰る人もいるのだとか(阿呆である)。

 

それに比べ、私の知人の男性。

スウィーツ好きの彼は、1人でもケーキ屋さんに入り

おいしそうなケーキが運ばれてきたら、

写真を撮るのも忘れて、カプリ。

一口食べてから、「あっ、忘れてた」と気づくという。

何と健康的なことか。

 

インスタも、動画サイトも、それはそれで楽しい。

テレビでは(編集された)美しい風景だけを見ることができる。

 

実際に旅行すれば、美しい風景だけでなく、ありふれた風景もある。

でも、あちこちから鳥の声が降ってくる、その響きの中にいる感覚。

歩いていて、姿は見えねど、ふっと花の香りが自分に触れてくる感覚。

写真から想像していたより、実物の方が小さくて驚くこともある。

実際にそこに行かなければ感じられない、本物。

 

「インスタ映え」が行き過ぎると、やがて人々の意識は

「本物」に向かっていくだろう。

 

そして、一番身近な本物は、自分自身。

文字どおり、“自分の体”を感じること。

 

島旅の手帳から (2018.5.12

 

バスの本数が少ないから、

乗り継ぎのやり繰りに案外忙しい。

都会では持たない腕時計は必需品。

(携帯・スマホはどこでも持たない。)

 

写真を「撮る」ことに夢中になると、

本物の「すごい」景色を見損なう。

ファインダー越しよりも「本物」を楽しもう。

 

蜜柑の花の香りは、上へ上へと昇っていく。

風に乗って運ばれるだけでなく

まわりへ広がっている。

 

島のあちらこちらに

鳥の声が満ちている。

 

若いウグイスが、歌の練習中。

つぶやくように、独り言のように歌っている。

上手なウグイスは、まわりの空間全体を響かせて歌う。

 

その高みまで上らなければ、見えない景色がある。

そこまで遠く歩かなければ、見えない風景がある。

 

360度、音が聞こえる。

 

一度上まで上がって下りてきたら、

さっきまで「すごい」と思っていた景色は

普通になる。

 

オリーブとみかんの島の休日 (2018.5.3

 

オリーブ園のギリシャ風車と、みかんの花咲く丘に憧れて

小豆島へ行ってきた。

 

藤の花 (2018.4.24

 

今年は本当に、冬から急に春になったようで

桜をはじめとして、花が咲き始めるのが早い。

 

郊外を車で走っていると、遠目にも、木々の緑に

山藤の紫の房がいくつも垂れているのが見えた。

 

さては時ぞ、と先週

見事な藤で有名な、明石は魚住の住吉神社に出かけたら、

あやにくに、まだ花房の上の方しか花開いていなかった。

 

花盛りのころには人でいっぱいになる藤棚の下には

一組の人が石に腰かけ、静かにお話をしているだけ。

 

まだ蕾の多い藤の房を見上げていると

ときどき良い香りがふわりと降りてくる。

 

そして、まだ咲き始めというのに

マルハナバチが、花から花へと何匹も飛び回ってて

ブーンと羽音を立てている。

 

マルハナバチの羽音は、よく響くハミングのよう。

たくさん飛んでいるのに不思議と2つの音程で聞こえ、

見事に3度でハモっていた。

 

センタードライディング(乗馬)のセミナー (2018.3.3

 

ときどき、あれこれを幸せな気持ちで思い返しながら

早いもので、静岡でのセミナーからもう1週間になる。

 

まず、講師のスーザン・ハリス先生。

予定の講師が急な事情で帰国せざるを得なくなったため、

7年ぶりに来日していたスーザン先生が

滞在を延長して代わりに教えてくれることになった。

 

そのスーザン先生は、あたたかい笑顔で、受容力があって

つねに生徒に対して肯定的な言い方をされる。

できていないことを指摘するのではなく、

初心者の私にも、何か良いところを見つけて褒めてくれる。

休憩中に質問しに行っても、喜んで耳を傾けてくれる。

だから、安心して、楽しく騎乗・受講できた。

 

そして、私が乗った馬といったら!

 

その前に、実は私の騎乗レッスン受講自体が

危ぶまれていたことにも触れておかねばならない。

 

センタードライディングは前から受講してみたいと思っていたので

申し込みの受付開始当日に、一番乗りで申し込んだ。

ところが受講確定後に要綱を読み直してみると、

セミナーでは4人馬一緒のグループレッスンだというのに

それまで私は、2人馬以上でレッスンを受けたことがなかったのだ。

2か月前に、先生が付きっきりで教えてくれる超ビギナークラスから

1つ上の部班(グループ)クラスへ“昇格”したものの、

同じレベルの人が一時的に少なくて

毎回(ラッキーなことに)個人レッスン状態だったので。

 

セミナー実行委員会に現状を伝えると、「しばらく様子を見て

1月末までに受講するか聴講に切り替えるか決めてほしい」とのこと。

乗馬の先生にも相談して「まぁ行けるでしょう」と言われたことを伝えたら、

実行委員会も私の“熱意に免じて”(要項発表前から問い合わせていたので)

最終的に受講を認めてくれることになった。

 

実際、受講してみたら、他の受講生はみな

何年~何十年も乗馬をやっている人ばかりで、

自馬を連れて参加している人も数人いたほど。

乗馬を始めてまだ数か月の超初心者は、私くらいのものだった。

 

どんな馬に乗ることになるのか、少し不安だった。

私が教室で乗っている馬もいろいろだが、

一番多くあたるのは、“重い”(反応が鈍い)といわれる馬。

先生から「もっと頑張って脚で圧迫して!」と言われ、

脚で合図を送っても送っても、しっかり歩かない、なかなか走らない。

(頑張れば頑張るほど効果がないのでは、とフェルデンクライス的には思うのだが)

 

それが、私が乗った馬といったら!

 (ようやくセミナー当日の話に戻る)

 

とても美しく、賢い、白馬だったのだ。

イベントのデモンストレーションで使われるほどの、特別な馬。

 

ほんの軽い合図で歩き出し、ほんの軽い合図で走り出す。

好奇心旺盛で、生き生きとしていて、楽しいことが大好きで。

(本来、馬というのはそういう生き物らしい)

 

2日目の軽速歩の練習では、走りたくてウズウズしていて

前の馬について今にも走り出そうとするのを、私が止めていたほど。

いいよ、と手綱を許すと、ちょっと伸び上がるようにして

一気に速歩で走り出す。

 

その馬の反応がとても良いのがうれしくて、

一緒に走るのがあまりに楽しくて、

センタードライディングの基本の「呼吸」も「センター」も

すっかり忘れていた。

 

騎乗レッスン後に感想を聞かれてそう答えたら、スーザン先生は

「あなたは呼吸していたし、良いセンターで乗っているのも見たよ」

とあたたかい笑顔で言ってくださった。(それがスーザン先生だ)

 

セミナー実行委員会は、超初心者の私の安全のために

「一番安全で一番賢い馬」を、特別に用意してくれたのだ。

私の乗馬教室では、初心者クラスでは重い(反応の鈍い)馬、

速歩、駈足クラスの上級者ほど軽くて乗りやすい馬があたるのに。

こんな“ビギナーズラック”もあるものだ。

 

夜までセミナーが行われた1日目の夕方には、

軽食のパンに加えて、わざわざ鍋で温めたシチューまで振る舞われた。

そんな実行委員会の方たちのあたたかい心配りに感動する。

 

はや満開の白、紅、緋色の梅の花、春のような暖かい空気、

「つま恋」乗馬倶楽部のエレガントなクラブハウスの風景とともに、

私の初めてのセンタードライディングは

幸せな場面の数々でいろどられている。 

スーザン先生と  つま恋乗馬倶楽部で
スーザン先生と つま恋乗馬倶楽部で

木星のような (2018.2.18

 

先日、以前の職場の上司だったJさんと食事をした。

14年ぶりに会うJさんが、すごく変わっていたらどうしよう?

すごく太っていたり、老け込んでいたりしたら…

と、ちょっと不安だったが、そんなことはなかった。

少し白髪は増えていても、相変わらず元気で陽気で、男前だった。

 

まだ入所1年目の私が勤める事業所に

当時最年少の所属長として着任したのがJさんだった。

背が高くて、声が大きくて(体全体から響く感じ)

フットワーク軽くきびきび動くけれども、堂々として確かな存在感。

太っ腹で、公明正大、青年所属長らしい理想主義的なところもあって

・・・たびたび御馳走になったからヨイショしているわけではない。

 

当時、目先のことだけを考えて慣習的に行われていたやり方を否定し

短期的には不利なことを、Jさんは革新的にやったりしたので、

他の年配所属長たちからは「青二才が・・・」と陰口を叩かれたらしい。

でも20年たった今では、それが組織全体の標準になっているという。

 

また、稼ぎ頭である有能な部下を手放そうとしない所属長もいるなか

Jさんは、有能な部下に人事部から異動の打診が来ると

(それはたいてい、より活躍できる場、さらに上のステージ)

その部下のために喜んで、どんどん送り出す。

狭く自分の事業所だけではなく、もっと広く組織全体のことを考える。

そういうスケールの大きい人物だった。

 

占星術では、「木星」は太っ腹で寛大なラッキースターだというが

私から見るとJさんは、本当に木星のような人だと思う。

こういう人こそ組織のトップになればいいのに、と言い続けている。

(そう言うと、Jさんは「何言うてんねん」と笑って呆れていたが)

 

仕事ができる、頭が切れることも組織のトップとして大事だが、

もっと大事なのは、その人がもつ雰囲気、醸し出すオーラであり

その人がどういう方向を志向しているか、ということだ。

組織のトップは実務能力だけではなく、組織の象徴でもある。

 

木星は1年ごとに滞在する星座を変えるので、

その1年は滞在する星座の性格を帯びるという。

組織は逆に、どういう人物がトップであるかによって、

そこで働く人、外から見た組織のイメージにも影響を与えるだろう。

 

現在のトップは人を見るのに長けた人物なので

ぜひJさんを自分の後継者として選んでほしいものだ、

・・・と、今は何の関わりもない私が、要らぬ世話を焼いている。

 

旅するイタリア語 (2018.1.2

 

NHKの語学番組が好きでよく見る。

今期のEテレ・イタリア語講座は、とくに大好きで

録り溜めしておいて、時間のあるとき大事に1つずつ見ている。

 

今期は、ヴァイオリニストの古澤巌さんが

イタリア人マッテオ・インゼオさんと南イタリアを旅しつつ

少しずつイタリア語を覚えて現地の人たちとコミュニケートする。

 

ナポリから、温泉で有名なイスキア島へ小旅行したり、

アマルフィならではのレモンのドルチェを食べたり、

イタリア人推薦の“もっとも美しい村”の浜辺レストランへ行ったり。

ほとんど毎回ヴァカンス状態で、習うイタリア語は毎回1つか2つ。

「これ、本当に語学番組なの~?」

と番組マスコットのダビデ像君が言うのが可笑しかった。

(しかも、声優は古澤さんと旅している=遊んでいるマッテオさん)

 

古澤巌さんは、たまにコンサートのポスターなどで見て

あの帽子姿と、ゴツそうな名前に見覚えがある程度で、

こんなにお茶目で、可愛げがあって心優しい人だとは知らなかった。

(もちろん、本当の古澤さんは知らないけど)

 

この前見た第10課では、古澤さんとマッテオさんが

浜辺から急な階段をへとへとになりながら登って

山の上の村に独りで住んでいるおばあさんを訪ねた。

 

このおばあさんがまた、映画に出てきそうな小柄で可愛い女性だった。

若い時の写真を見せてもらったり、赤ワインを御馳走になったりして、

お礼に古澤さんがおばあさんに

テラスでヴァイオリンの生演奏をプレゼント。

マッテオさんがおばあさんのために椅子を運んできて、

テレビで映画を見るのが好きだという彼女のために

古澤さんが弾いたのは、

「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマだった。

 

眼下にざーっと広がるアマルフィの海を背景に、

まるで映画みたいなシーンだった。 

 

巨匠のヴァイオリン  (2017.11.5)

 

昨日、大阪のシンフォニーホールで

イツァーク・パールマンのリサイタルを聴いた。

 

現在における最も偉大なヴァイオリニストの一人

といわれるイツァーク・パールマン。

 

彼は子どものころ、ポリオを患って

フェルデンクライス博士から直接レッスンを受けていた。

「それだけでなく、パールマンはとても価値あることを

  フェルデンクライス博士から学んだらしいよ」

と、あるアメリカ人が、次のインタビュー記事を送ってくれた。

http://lamaruniversitypress.com/perlman-plays-inspires-at-fisher-lecture/

 

そのパールマンが大阪に来ると知り、

聴きに行こうかな、と思ったのが半年前。

ところが、実際にチケットを買ったのは当日1か月前で、

東京や福岡のホールはすでに完売。

大阪だけ、S席が数枚残っていた。

 

S席と言っても、残っているのは2階席の奥の方ばかり。

どうせ行くのなら、さっさと買っておけば良かった。

 

そんなわけで、舞台のパールマンはずいぶん遠く、

いくらストラディバリウス、いくらシンフォニーホールでも

ヴァイオリンの音が遠く聞こえ、曲によっては

伴奏のピアノの響きが勝っているように聞こえたのは残念だったけど。

 

それでもストラディバリウスは、弱音の表現でも豊かに響くのだ。

否応なく響く、という感じ。

 

それに、パールマンの、なんと自由に楽々と弾いていることか。

そして、ヴァイオリンを弾くのが楽しくてたまらない、という表情で。

左手がまるで別の生き物のように凄い速さで細かく動き、

おそらく弾いているのは難曲なのだろうけれど、

難しい感じ、無理な感じが全くなく、むしろ楽そうで、余裕。

それが名人なのだろう。

 

客席には、着物を着た女性もちらほら、外国人もちらほら。

ヴァイオリンを習っている子どもが親と聴きに来ていているのも

よく見かけた。

 

終演後の客席の惜しみない拍手には、名人芸への賞賛だけでなく、

パールマンへの大きな親愛の情を感じた。

彼の暖かい親しみのこもった人柄が反映しているのかもしれない。

 

なにか豊かで、暖かい贈り物をもらったような気持ちで

今、あのホールでの時間と空間を思い出している。

 

続・マルハナバチの缶詰 2017.7.11

 

アメリカにはマルハナバチの缶詰がある、

と教えてくれた方から、その後、あれは

Bumblebee(マルハナバチ)というブランドの缶詰がある」

と言ったつもりだった、と訂正された。

 

日本でも蜂の子を食べたりするそうだから、

アメリカでもそうなのかと思っていた。

“欧米ではマルハナバチは愛されている”と聞いていたから

「マルハナバチが好き」と言っても、いろいろあるものだと。

 

マルハナバチ印ということなら、

スポーツ用品メーカーの「ヒュンメル(hummel)」も

ドイツ語でマルハナバチ(を意味するhummelのデンマーク語読み)だ。

やっぱり愛されている。

 

ところで、今日の午後、蜂蜜の箱が届いた。

注文したのは昨日。

 

最近、本やDVDをアメリカに注文して、到着が2週間後とか、

  (送料が一番安い配送方法を選択したからだけど)

注文で相手との意思疎通がまずくて、さらに2週間かかったり、

国内でも、直接出版社に注文した本が3日後に届いたり

ということが多かった。

だから、昨日注文して、今日には手元に届いたのはびっくり。

しかも2時間ごとに時間指定ができるなんて。

  (クロネコヤマトの配達員さん、ありがとうございます。)

でも日本の消費者は、これが当たり前だと思ってはいけない。

 

それはともかく。

 

私は蜂蜜が大好きなのだ。

去年買ったイタリアのオレンジの蜂蜜、それから

九州の蜜柑の蜂蜜を、ときどき大事にスプーンで一舐めする。

ミツバチが一生かかって取れる蜜は、わずかスプーン1杯だそうだ。

 

注文したのは、ルーマニア産の菩提樹蜂蜜とヒマワリ蜂蜜、

それに中国産の菜の花蜂蜜を少しずつ。

 

菩提樹(リンデン)は、以前この時季に布引ハーブ園を訪れたとき

とても良い香りの花をつけていたから。

そこで飲んだリンデンのハーブティーもおいしかったし。

 

中国の菜の花蜂蜜は、以前にテレビで、広大な菜の花畑と

家族で旅をしながら蜂蜜を集める若い養蜂家の話を見たことがある。

彼が、もっと若い頃に蜂に刺された手の傷跡を、勲章だと語り

仕事に誇りと愛情をもっている姿が、印象深くて、

菜の花の蜂蜜、いつか食べてみたいなぁと思っていた。

 

届いた箱を開けたら、蜂蜜が丁寧に丁寧に梱包されていた。

 (山田養蜂場の皆さん、ありがとうございます。)

 

 

マルハナバチの缶詰? (2017.7.1)

 

このブログをご覧になった方から、

「マルハナバチがお好きなんですね」と言われた。

 

はい、私はマルハナバチが大好きなんです、と言うと、

その方が、「アメリカにはマルハナバチの缶詰“があるんですよ」

と教えてくれた。

えっ、マルハナバチの缶詰?

「農業用ですか?」と私がバカなことを聞いた。

(授粉用にたしかにマルハナバチは農業で使われているけれども、

生きたマルハナバチを缶詰にしたら、窒息死してしまう)

 

実は、アメリカではマルハナバチを食べるのだそうだ。

「おいしいんですよ」とおっしゃった。

 

 

マルハナバチは、体が大きくて

ブーンと低いうなり声のような羽音をたてる。

だから怖がられるけれども、刺すことはめったにない。

コロンとした大きな体に不似合いの小さな羽根で

飛ぶさまが、私は可愛いと思う。

 

マルハナバチは英語でbumblebee(バンブルビー)と呼ぶが、

蜂がブンブンいうことをbumbleという。

“bumble“には「へまをする」という別の意味もあるが、

ところがどっこい、マルハナバチは、自由に空を飛び

軽々と空中静止までできるのだ。

 

1930年代、科学者が航空力学でマルハナバチの飛行を

説明しようとして失敗。

「マルハナバチは航空力学上、飛行不可能」と結論づけた。

 

それでもマルハナバチは飛ぶ。

 

馬、はじめました 2017.6.14

 

乗馬を習い始めた。

昨日が4回目のレッスン。

 

乗馬は、「そのうちやりたい」と思っていたことの1つ。

そのうち・・・と言うなら、今始めよう、と思った。

 

なぜ乗馬?の理由など、探せばいくつでも見つかる。

子どものとき、六甲山牧場でポニーに乗せてもらうのがうれしかった

(後でもらえるポニーの絵の赤いバッジがうれしかった気もするが)。

1のとき大好きだったアニメ「リボンの騎士」で、

サファイア王女が男装で白馬に乗るのがカッコ良かったこと。

そうそう、松平健さん演じる凛々しい「暴れん坊将軍」が、

白馬で颯爽と海岸を駆けるシーンも、毎日見ていた。 

 

大人になってから、信州の観光地で馬に乗ったのは今から15年も前。

9月初めで、ちょうど夏休みが終わったばかりの牧場に、客は私一人。

何時間かマンツーマンで教えてもらい、最後には曲がりなりにも

インストラクターと馬を並べて(それぞれ騎乗して)裏山を歩いた。

(もちろん、馬が賢いのである。初心者を乗せても決まった通り動けるのだから。そして、もちろんインストラクターの存在があってこそ。勘違いしてはいけない。)

 

 1年前から友人の娘さん(現在小4)が乗馬クラブに通い始めたこと、

また最近、知人が近くで乗馬を始めたと聞いたこともそうだが、

きっかけが、もう1つ。

 

❝Singing with Your Whole Self –The Feldenkrais Method and Voice

  (あなた全体で歌うフェルデンクライス・メソッドと声)

という声の本の中に、2か所、乗馬についての記述があったのだ。

1つは、フェルデンクライス・メソッドを馬に応用したという

リンダ・テリントン-ジョーンズのメソッド「TTEAM」。

もう1つは、「センタード・ライディング」という乗馬メソッド。

 

読んでいるときは、とくに気にも留めていなかったのだが、

昨年、アメリカの田舎でミア先生のセミナーに参加したときのこと。

休み時間に先生たちを訪ねてきた1人の女性を、レオラ先生が

「友人のリンダ・テリントン-ジョーンズよ」と紹介するのを聞いて、

なぜか「ひょっとして、あの本にあった人?!」とピンときた。

そして見ず知らずのその人のところへ行って、サインをしてもらった。

TTEAM」がどんなものかも知らなかったのに・・・。

ただのミーハーである

 

後々に調べてみると、リンダ自身が世界的に有名な馬のトレーナーで、

TTEAM」は世界10か国くらいで教えられているらしい。

 

・・・まぁ、始めたきっかけも理由も、本当はどうでも良くて、

馬が、かわいい。

颯爽と、カッコよく、自由に、そして馬とともに気持ちよく

乗れるように、早くなりたいものである。

 

 

 アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス神戸講座2017.4.8

 

フィンランドの“ラウル・コウル(歌の学校)”の

メリヤ先生が神戸に来られ、講座が開催された。

 

フェルデンクライスの生徒さんたちや、

私が10年以上前に歌っていた合唱団の方たちも参加してくれた。

 

そのころ、その合唱団だけでなく別の合唱団でも歌っていたが

そのときの私が、メリヤ先生の言うこの歌い方を聞いたら、

物足りなく思ったか、奇妙に思ったかもしれない。

とにかく、そのころの私や周りの人たちの歌い方とは違う。

 

メリヤ先生は何度も「健康な歌い方」と言っていた。

先週のアンカヴァ牛窓合宿でも、

「声はbuild(建物のようにつくる)ではなく、free(自由にする)」

「自分が向こうに向かって歌いに行くのではなく、

声が向こうからやって来る」

と言われたが、それは私たちの思っている歌い方とはかなり異なる。

昔の(少なくとも100年以上前の)イタリアでは

当たり前だった歌い方だそうだ。

 

そこでは「聴くこと」

「聞こえてはいないが、すでに空間に満ちている響きを聴き出すこと」

が強調される。(トマティス・メソッドとも通じる。)

 

今日は2時間ずっと、具体的な曲ではなく

アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスの歌の学校のエクササイズばかり。

それが私には楽しい。

(私は合唱団でもコンサートより毎回の練習が好き。

たぶん、声を出すこと、歌うことそのものが好きなのだ。)

 

で、普通の声楽などの発声練習と少々違うのは

多様な子音+母音とシンプルな音型の組み合わせの、様々な発声練習が

つねに具体的でポジティブなイメージとともに誘導されること。

「鼻の横を翼のように広げて」「微笑んで口角が耳の方へ来るように」

「響きが後頭部から上へジャンプするように」

といった技術的なイメージだけではなく、

「噴水の水が噴き上がるように」

「噴水の水滴が飛び散るように」

「頭の上に青空が広がっているように」

「朝の日の光が向こうから差してくるように」

といった、気持ちが明るくなったり楽しくなったりする、

心地よいイメージ。

すると、とたんに声が生き生きとして輝き出す。

 

まるで、それらの短いフレーズで遊ぶかのように。

それが、「動きを使って(赤ちゃんのように)遊ぶ」

フェルデンクライスにも似ていて面白い。

 

 

近ごろ、しきりに

「神は遍在する(あまねく存在する)」という言葉が思い浮かぶ。

本質的なことは地下水脈でつながっていて、

それが一見、別々の場面で、異なる姿で表れてくるが

あぁ同じことを言っている、つながっているのだ、と気づかされる。

 

 

若冲をハシゴ 2016.8.27

 

生誕300年で、盛り上がりが凄いらしい。

近年、急に大注目を浴びている、江戸時代の絵師・伊藤若冲。

若冲が生まれ活躍した京都に、展覧会を見に行った。

 

細見美術館には若冲が20点以上あり、今だけ一堂に見せてくれる。

 

倉庫のような鉄の扉が開くと、いきなり、水墨画の鶏の数々。

黒一色、というのは正しくない。

墨だけでも濃淡と緩急、太細を自在に使い分け、

鶏が生き生きとして一幅の中に存在している。

特に、一気に描いた尾羽には、鶏の動きまで見えるようだった。

 

その後で向かったのが相国寺の承天閣美術館で、

相国寺は若冲が「動植綵絵」や「釈迦三尊像」を寄進した寺だ。

その「動植綵絵」は明治以降、皇居に所蔵され、

寄進した相国寺では今、原寸大の精密な印刷が展示されている。

 

もちろん、本物が見られるに越したことはないけれど、

(今春東京での、「動植綵絵」も出品された若冲展は3時間待ちだったとか)

テレビで細部をアップで見ていた数々の絵が、実物と同じ大きさで

部屋の壁一面にぐるりと30幅掛かっているだけでも迫力だった。

(東京かららしい団体客が「3時間も待って見た絵がこんなところに!」と叫んだ)

 

しかも本物の「釈迦三尊像」が、部屋の奥で「動植綵絵」の中心に

釈迦如来が両脇に普賢菩薩・文殊菩薩を従えるようにして、

並んで掛けられていた。

若冲が深く仏教に帰依していたことを、ここで初めて知った。

ここ相国寺では、観音懺法法要のたび

これと同じ形・順番で30幅が飾られたと知ると、やはり感慨深い。

 

さらに第2展示室では、金閣寺(実は相国寺の塔頭寺院の1つ)の

大書院の障壁画50面(重要文化財)すべてが展示されている!

これもテレビで見知っていたものの、

まさかここで本物を見られるとは思っていなかった。

 

承天閣美術館は「動植綵絵」が本物ではなく印刷物なので

見る価値が低いと思われているのか、見に来ている人が少ない。

そうだとしたら、もったいないことだ。

倉庫風の鉄扉の近代的建物の細見美術館(個人美術館)に対し、

承天閣美術館は総本山の広大な敷地の一角に立つ、和風の建物。

靴を脱いで入る美術館内は絨毯敷きで、お香の匂いが漂い、

2展示室へ向かう途中には、ガラス越しに石庭が眺められる。

そして、この寺での永代供養を望んだ若冲自身の精神的背景。

 

ところで、「動植綵絵」のカラフルさは、

墨の鶏を見慣れた目に、ものすごい情報量に感じられた。

緻密に描き込まれた絵、最高級らしい顔料を惜しげもなく使い、

何色にも塗り分けられ、重ねられた色。

画面いっぱいに描かれ、ときには色彩の氾濫にも感じられた。

 

不思議なことに

その極彩色の絵の中で、鳥や魚たちは静止して見えた。

ちょうど歌舞伎役者が見栄をきるように、

空間上、絶妙な位置と姿勢で、ピタッと止まっていた。

墨一色の鶏たちの方が動いて見えたのは、なぜだろう。

 

承天閣美術館でもたっぷり時間を過ごし外に出たら、はや夕暮。

いつの間にか体が冷えたので、近くの店で熱いお茶など飲んで

あったまって帰ろう。

・・・と思ったら、店内の方がよっぽど低温設定で、寒かった。 

 

でも、有名なニューヨークチーズケーキはおいしかった。

小さかったけど。

 

ゆる~いファン 2016.8.14

 

今年は全部で8つ見えた。

 

ペルセウス流星群の話である。

ピークの12日深夜から翌未明に6つ、14日の未明に2つ。

 

昨日も今日も、夜空にうっすらと靄がかかったようで

夏の大三角をはじめ、明るい星がいくつか見えていただけ。

流星群を見るにはあまり良い条件ではない。

ベランダで510分、ぼーっと空を見上げていれば

あっ、1つ流れた、というような、ゆっくりペースだった。

 

ペルセウス流星群で思い出すのは、

大学生のときの山行会の夏合宿。

北アルプスの稜線上に寝転がって見上げた星空だ。

 

真向いの大キレットに夕日が堂々と沈んだあと、

さえぎるものなく広がる空に、星が次第に数を増した。

 

・・・はて。どれくらいの流星を数えたのだろう?

肝心の流星のことは覚えていなくて

(街なかでより、よほど多かったに違いないが)

思い出されるのは、

大キレットの岩稜の切れ込みに入り込んでいくオレンジの夕日、

銀マットを地面に直敷きし、仲間と並んで流星群を見上げたこと、

北アルプスのど真ん中なのに、意外と町の灯りで明るかったこと、

そして、

こんな贅沢なロケーションで、ペルセウス流星群を見たのだ!

という誇らしい気持ちと。

                                       

 

小さいころ、母に連れられ、妹と私と3人で

ハレー彗星を見に行ったことを覚えている。

寒い冬の真夜中だった。

後に聞いたところでは、子どもの教育のため、というより

母自身が見たかったが夜中に1人で行くのが怖かったから、らしい。

しかし、ともかく、そんな母の影響もあったのだろう、

私も、ゆる~い天文ファンになった。

 

小学生のころ、祖父が買ってくれた学研まんが

『星と星座のひみつ』を、私はよく読んだものだった。

今では考えられないが、当時まんがは

「教育上良くない」と言われていた。

(国語の授業で「まんがを読むのは悪いか」というテーマで

 作文を書かされたこともある。)

だが、天文学のごく基本的なことを、

私はこのまんがで楽しみながら学んだ。

 

大学に入って間もないころ、地学(一般教養)の最初の授業で、

Y教授が南極調査に行ったときのスライドを何枚も見せてくれた。

そのうちの1枚には、

真っ白な雪原に、ポツンと犬の糞のような黒い物体が写っていた。

「これは何だと思いますか?」 Y教授が質問し、

「当てた人にはご褒美をあげます」とおっしゃった。

教室中、誰も答えないので、思いきって手を挙げ

「隕石です」

と答えたところ、Y教授はちょっと驚いて見せて

「あとで私の研究室にいらっしゃい」とおっしゃった。

 

結局、私は教授の研究室を訪ねなかった。

今ならば、のうのうと研究室に行き、

お茶の1杯でもご馳走になっただろうが、

まだ厚かましさを身に付けていなかった新入生の私は

「教授は冗談でおっしゃっただけだ」

と自分に言い聞かせ、行かなかったのだ。

つくづく残念なことをした。

もっと南極のお話も聞けたかもしれないのに。

 

そしてもちろん、「隕石」と答えたのは、

あのまんがの知識がヒントになったのだった。

『星と星座のひみつ』は、今でも私の本棚の片隅に立っている。

 

極上の音 (2016.1.16

 

クリスチャン・ツィメルマンを聴きに、びわ湖ホールへ行ってきた。

現代最高のピアニストと言われる1人。

 

ときどき彼は曲の中で、“沈黙の音”を聴いていた。

 

 

「黄金伝説」と「モノが語る世界の歴史」2016.1.9

 

神戸と東京で開催中の2つの展覧会が

間もなく111日に閉幕する。

 

    *   *   *

東京に行った折、せっかくだから

何か美術展も見て来よう、と調べて、

すぐに決めた――「黄金伝説」展。

古代地中海世界の秘宝の数々!と聞けば

絶対見たい。

 

小さい子どもは50円玉より5円玉をほしがる (銀色よりも金色が好きだから)

と聞いたことがあるが、同じ心境である。

 

上野公園の入り口近くの総合チケット売り場に並ぶと、ほとんどの人が買っていたのは、

「モネ展」。(圧倒的に女性)

未だかつて、どんな権力者も

一度に見ることは叶わなかったほどの量と質の黄金が、

ここに集まっているというのに。

  

すぐ近くで「アート オブ ブルガリ」展も開催中だった。

こんな大きな展覧会を上野公園だけで同時に3つもするとは

さすが東京だと思った。

 

さて、その黄金展の中身は・・・まさに百聞は一見に如かず。

ここで何を書いても始まらない。だから、書かない。

本物の黄金の数々を、自分の目で見ないことには。

 

まだ会期の初めごろだったからか、人が少なく、

ひとつひとつを、ゆっくりと鑑賞できた。

小さな品が多いので(純金だから当たり前だ!)

壁の拡大カラー写真付きの解説を読んでから見ると、

その非常に精緻な細工の素晴らしさがよく分かる。

 

一目見ただけで次へ行く人は、他人事ながら、

もったいないなぁ、と思う。よく見れば、たとえば

立派な羽根の小さな天使がついていることに気がつくのに。

 

そうやって、たっぷり時間をかけて見て回り、

もうそろそろ終わりかな、と思ったところへ、

目玉のひとつ、総重量12キロの黄金の食器群が出てきた。

 

まだ全体の3分の2しか、見終わっていなかったのだ。

あぁっ、もう30分しかない、と思いながら

歩みを速めても、最後まで1つでも見逃すのは惜しい。

 

小さな金の指輪に目を凝らすと、

小さな小さな手をつないでいるデザインに気づいた。

当時、握手が結婚の象徴だったという解説を読む前に

自分で「発見」できたのも、楽しい。

 

蔦のような流麗な曲線の美しい王冠もあれば、

半獣の女神の後ろにライオン、スフィンクスなどの獣が

電車ごっこのようにつながって並んだ愉快な王冠もある。

 

見る品、見る品、どれも黄金色。

言ってみればモノトーン(単色)で、

しまいには本当に目に飽きるほど

黄金に満ちた空間で過ごすのは、贅沢この上なかった。

 

*   *   *

地元の神戸市立博物館では、同時期に

100のモノが語る世界の歴史」と題する

大英博物館展が開催されていた。

 

会期は100日以上もあったのに、

残り1週間を切って訪れた。

最後の3日間の連休は避けたが

やはり賑わっていて、中高年の方が多く、

しかも男性客が多いのが印象的だった。

 

100点のうち私の1点を選ぶとすれば

「ウルのスタンダード」。

ラピスラズリの群青の背景と、絵を表す貝殻の

黄みがかった白の対比が、際立って美しかった。

近寄って見ると、貝殻が剥がれ落ちて、

背面にあるラピスラズリについた窪みが分かるのも面白い。

 

この展覧会の目玉の1つだが、未だに用途は不明だという。

 

もう1つ楽しみにしていたのが、

「ヘブライ語が書かれたアストロラーベ」。

金色の円盤も、中の装飾も華麗で、美しかった。

 

そう言えば、「100のモノ」の中に、日本からの物が、

覚えているだけでも45つあった。何だか誇らしい。

縄文土器を転用した水入れ、柿右衛門の象、

鶴を施した和鏡、北斎漫画・・・日本で金継した茶碗も。

日本での展覧会だから、かもしれないけれど。

 

時代も国・地域もバラバラの100点の物を

縦横に関連づけた構成は、ざっと200万年前からの世界史を、

時間と空間を立体的にして(まさに時空を越えて)見せてくれた。

 

あぁ、世界史を勉強していて良かったな、と思った。

 

世界史の授業が受験に不要云々、と問題になったことがあるが、

それで勉強しなかった子たちは、本当に可哀想だ。

私自身は不真面目で、受験では「可もなく不可もなく」だったが、

学校で習った世界史の知識の断片があるだけで

その後の人生が、どれだけ豊かになったか分からない。

 

ところで、

「金製のゾロアスター教徒像」の解説によれば、

2500年前の世界最大の国ペルシアは

ゾロアスター教(「拝火教」と習った)が国教にもかかわらず

他の多くの宗教・文化に寛容だったという。

 

また、「アストロラーベ」が作られたらしい中世スペインでは、

ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラーム教徒が

平和に共存していて・・・(これも世界史の授業で習った!)

という解説を読むと、あぁ素晴らしいなぁと思う。

それが、「数学と科学に格段の進歩をもたらした」そうだ。

 

*   *   *

この2つの展覧会とも、残りはあと2日。

 

一目でも、“本物”を見ることには、価値がある。

 

 

名残りを惜しむ・心を残す (2015.11.2

 

お茶の先生の言葉に、なるほどなぁ、と思った。

 

お点前の人が、今手に持っているお道具とする)を置いて

次に取るべきお道具とする)に手を伸ばすとき。

 

目線が、もう次のにさっさと飛んでいるのを注意なさり、

「名残りを惜しむかのように、

からへ移る)距離の半分はまだに)心を残したままで」

とおっしゃった。

 

私などは、茶道を習い始めてもうすぐ2年になろうかというのに、

未だにお点前の手順を覚えきらない、不出来な生徒で、

「次は何をするんだったけ~」ということは、しょっちゅうである。

 

先生に言われた先輩は、当然、お点前の所作は全てできた上のこと。

でも、目線の移動という、一見小さなことだが、

案外、外から見ている者には、はっきりと分かるのだ。

 

なるほどなぁ、と思いながら思い出すのは、

ふだんの、別れ際の挨拶の場面。

 

お互いに懇ろにお辞儀をして顔を上げたとき、相手の視線は

すでにこちらにはなく、もう次の何か・誰かに移っている。

ご当人は気づいていないが、こちらは少し残念な気がする。

心がすでに私にはなく、次のことに向かっていることが伝わるからだ。

 

と言いながら、他の人のことは見えても

自分も案外、同じことをしているかもしれない。

フェルデンクライスで言うところの

  aware(気づいている・覚醒している)

は、難しい。

 

心を残しながら、次へと向かう。

お道具を持つ指先にも、心を配る。

 

お点前の単なる動作の手順ではなくて、

ひとつひとつのことに気を配っていること、気づいていること。

目覚めていること。

   



とんぼ返りで奈良へ

 (2015.9.18)


金曜日で開館時間延長、というので

レッスン後、三宮から奈良へ。


薬師寺の月光菩薩が圧巻だった。


阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)

後屏風の模様が、また素晴らしかった。

まるで、音楽が流れているようだった。




一番星、二番星 (2015.7.14

 

久しぶりに夕空が晴れた。

 

金色とバラ色と青がまざったような

うすい菫色の、まだ明るい西の空に、

早くも金星が燦然と輝いている。

 

近くにあるはずの木星を探したが、

まだ空が明るくて見えない。

 

しばらくすると、

金星と並ぶように木星がうっすらと見え始めた。

 

木星と金星が重なるという、珍しい71日の夕空を

とても楽しみにしていたけれど、梅雨空の雲の中。

今日ようやく、隣りあう星が見えた。

 

それにしても、少しずつ夜が来るのが早くなり、

夏至の日から、もう3週間。

 

いつの間にか、空の青が深まって

あちらにも、こちらにも、一等星が見え始め、

西空の二つ星は、いよいよ輝きを増している。

 

 

私の前世は (2015.5.31

 

 

前世は、熊。

か小鳥か栗鼠…

だったか、と思うくらい、

木の実に惹かれる。

とくに、赤い実に。       

 

あ、縄文人だったかも。

 

縄文人は狩猟・採集民族、と思っていたけど

実のなる木を集落に植えたりもしていたらしい。

 

  写真は、庭の「ゆすらうめ」の実。

やわらかい緑の葉の間から、赤い実が

いくつも見え隠れしているのが愛らしいのだが

昨日、残らずせっせと摘んでしまった。

  

下の写真の奥にあるのは、

わが家で一番気に入っているティーカップ。

たぶん、この赤い実(こちらは葡萄)に心惹かれている。

 

道々の宝を見つける 2015.2.28

 

2月の終わりの日。

今日は朝からトクをした。

 

たまたまつけたラジオで聞いた、とってもいい話。

 

“『釣りバカ日誌』のハマちゃんのモデル”という、黒笹慈幾さんの

講演会「先を急がず、刺激を求める~新しいお遍路スタイルの提案」。
               (NHKラジオ第2放送)

 

黒笹さんは、私でも知っているアウトドア雑誌の元編集長だから

漫画どおりの「釣りバカのダメ社員」ではない、と思うけれど。

 

「正しい(ただしい)遍路、楽しい(たのしい)遍路」。

修行に始まり1200年続いてきた特別な旅「正しい遍路」だけでなく

これからは、「楽しい遍路」という別の路線もあっていい。

 

「のんびり楽しく、無理をしない」新しいお遍路を提唱するお話は、

最初こそ少し堅い感じだったが、話が進むにつれ、

『釣りバカ日誌』ハマちゃんの本領発揮で、どんどんノリノリに。

 

とっても楽しい。

 

これが黒ちゃんの口癖なんだろうな。

1時間の講演会で、何度もこの言葉が出てくる。

(「黒ちゃん」、お会いしたこともないのに、勝手に呼ばせてもらう。)

 

お話を聞いていて、

黒ちゃんの歩き遍路のススメはフェルデンクライスに似ている、

と思った。

 

まず、お遍路に出発する黒ちゃんに、お寺のご住職が贈ってくれた言葉。

 

「お寺には何もない」「道々の宝を拾いなさい」

 

今は、先を急いで1日にいくつものお寺を巡る観光バスもあり、

次のお寺に到着して印をもらうことが目的になっていたりする。

でも、「お寺には何もない」と言い切るご住職に、黒ちゃんは驚いた。

  

もちろん、お寺には立派な仏像もあるけれども、もっと価値ある宝は

お遍路でお寺からお寺へ歩く道々にこそある。

 

黒ちゃんが感動したこのご住職の言葉こそ、

「フェルデンクライスはゴール(目的)ではなくプロセス(過程)が大事」

ということを、とても分かりやすく表している。

 

それに、黒ちゃんの「とっても楽しい」歩き遍路と同じように、

フェルデンクライス博士が何度も言っていたのは

レッスンは「楽しく喜ばしい」必要がある、ということ。

「正しいか、間違いか」ではなく。


 

さて、その黒ちゃんの「とっても楽しい」歩き遍路には、

いくつか決めていたことがあるという。

 

まず、

・「ゆっくり遍路」・・・120kmまで。つまり、先を急がない。

途中出会った、全行程1400kmを数日で歩き切る超人的おじいさんに、

そのゆっくり具合を「あほか」と言い捨てられたとか。

                                    

・「寄り道遍路」・・・おいしいランチの店は、数km遠回りしても必ず立ち寄る。

 

・「夜遍路」・・・夜はカラオケ、居酒屋にも行って楽しむ。(あれば)

 

・「雨遍路」・・・雨の日の遍路。

ふつう、お遍路さんは雨の日は嫌がり避けたりするが、試してみた。

横殴りの暴風雨の日に歩いてみた。その結果、

散々だと分かったので、それ以降、雨の日はやめることにした。

決めつけず何でも試してみる。フェルデンクライスのやり方と似ている。 

          

・「トンネルは迂回する」

   直通で早く行けるトンネルだが、中はすごい騒音でもある。

   トンネルを迂回すると、遠回りだけど、必ずそこには

   とても景色の美しい旧街道がある。

 

そして、ゆっくり遍路には「気づきがある」。

 

あぁ、私も歩いてみたくなった。

できれば、道々みかんの花の香る、5月に。

 

 

※黒笹さんの「釣りときどきお遍路」日記はこちら。

http://www.nangokuseikatsu.com/archives/category/o-henroad

 

やっぱりおもろいな~ (2015.1.25

 

待ってました!

『秘密のケンミンSHOW』の、一県限定・大阪スペシャル。

            (2015122日放送)

 

かねがね、この番組は、ええ番組や、と思っていた。

なかでも大阪が紹介されるときは、期待でワクワクする。

 

やっぱり、大阪の人はええなぁ!

めちゃめちゃ面白い。

芸人(笑いのプロ)でない、一般の人が笑わせてくれる。

 

今回も、観終わってすぐに録画を直し、結局、二度

何を言うか分かっていても、また笑って幸せな気分になる。

 

「ここ、どこやと思てんねん。うどん食え!」

お兄さんの大阪弁の啖呵も、小気味ええなぁ。

 

カッコつけて気取らない合理的精神。

そして旺盛なサービス精神。

とにかく明るいのも、商人の町ならでは、なんやろか。

 

江戸時代、天下の台所「大坂」では、

財力ある商人が、日ごろ威張っている武士に金を貸したり、

お上を頼らず自ら橋をつくったりした(淀屋橋など)から、

庶民が見栄や権威を笑い飛ばす土壌がある。

 

私は大学が大阪だったので、地元・兵庫に次いで愛着がある。

その大学も、大阪財界の有力者がつくった大阪商業学校が源流の、

大阪市民による大学である。

 

もちろん、私の同級生や先輩・後輩、大阪人全員が

ケンミンショーに出てくる人と同じではない。

 

テレビ番組である以上、面白いところだけ取り上げ

編集・強調しているのは当然のこと(良いか悪いかは別として)

バラエティ番組でないニュース報道番組ですら、

制作者側が意図的に、情報を操作(とまで言わなくても)

取捨選択して放送するのだから、鵜呑みにしてはいけない。

情報はすべて、事実の一部ではあっても、真実とは限らない。

 

 

閑話休題。 

ケンミンショー・大阪特別編の「関西5大私鉄」比較も面白かった。

 

ところで、番組で紹介された

「阪神タイガースのイメージ」阪神電車の甲子園球場(西宮市)も、

「ハイソなイメージ」阪急電車の高級住宅地(芦屋市)も

タカラヅカこと宝塚歌劇団(宝塚市)も、

ぜんぶ、大阪府ではなく兵庫県ですぞ。

 

特に甲子園球場は、タイガースファン=大阪人のイメージが強く

大阪にあると全国的に誤解されている、と思う。

ついでに言うと、十日戎の「福男選び」で有名な西宮神社も同じ西宮。

 

 

それにしても、今回はスタジオほぼ全員が大阪出身者で

皆が皆ワァワァ言うのが、いかにも大阪らしいが、

昨今、関西出身者がまさに席巻している他のお笑い番組と

あまり雰囲気が変わらないのが可笑しい。

 

1回に収まりきらない、大阪スペシャル。

次回放送の後編が、今から楽しみだ。

 

 

海に生きた男の心意気 (2015.1.15

 

明けましておめでとうございます。

 

年が明けて早くも2週間。

新年の挨拶をするには少し気恥ずかしいですが、

「松の内」は、広い意味では15日まで、とのこと。

この不調法、笑ってお許しください。

 

今年は新しいスタジオを開くべく

正月明けすぐに、具体的な買い物も始める予定だったのが、

年明けに、思いもよらない事情で一旦停止せざるを得なくなり

呆然としているうちに日が経ってしまいました(不調法の言い訳)。

 

とはいえ、この立ち止まる期間にも、何か意味はあるはず。

スタジオやレッスンのこと、今一度イメージし直す作業をしています。

 

 

年末から順調に進んでいたことに急ブレーキがかかった直後、

淡路島に行くことがありました。淡路島行きは、昨年からの予定通り。

これも行くことに決めていた高田屋嘉兵衛の顕彰館に行ってきました。

 

高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)。

司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公であり、

北前船で巨万の富を成した、淡路島出身の豪商。

・・・その名前くらいは知っていたものの、とくに興味もなかった。

それが昨年から気になり、淡路島へ行くなら是非、と決めていました。

 

淡路島の最南端から北上し、着いたのは夕方4時ごろで

高田屋顕彰館(記念館)には、私がただ一人の客のようでした。

はじめに親切な係員の女性が、私に合わせて、ホールの大画面で

嘉兵衛の生涯を上映してくださった後、ゆっくり館内を回りました。

 

館内の展示に、私の心がブルブルっと震えたのは、次のことでした。

 

江戸時代の当時、船にただ商品を積んで帰るだけ。

その商品は量目も品質もいい加減が当たり前だった中で、

高田屋は、品質を何等級にも細かく分けて管理し

量目もきっちりと正しく計って、誠実に商売をしていたので、

高田屋の船の商品だけは、日本中で計らずともそのまま通用した。

つまり高田屋の「高」の印は、まさに一流ブランドの証だった。

 

また当時、松前藩はアイヌを厳しく差別・不当に搾取していたが、

函館を拠点として北方を開拓していた嘉兵衛は

アイヌの人々に敬意をもって接し、日本人と同じく厚遇したので、

アイヌの人々からも信頼され、いつも人が集まってきた。

 

嘉兵衛は少年時代、貧しさ故に、隣村の親戚の家で暮らさざるを得ず、

その村の同年代の少年たちから嫌われ、村八分にされていました。

自分が人間として正当に扱われず、心底つらい思いをしたからこそ、

後年嘉兵衛は、アイヌの人々を同じ人間として大事にしたのでしょう。

 

また、正しい量目や品質管理は、今でこそ当たり前ですが、

でたらめな量目や粗悪品も当たり前の風潮の中で、

周りがどうあれ、自分が良しとする基準に従い、誠実に商売をする。

誰に対してでもなく、自分自身に対して恥ずかしくない仕事をする。

すると、そのうち時代がついてくるのですね。

 

淡路島の貧農に生まれた嘉兵衛は、少年時代に淡路島から飛び出して

神戸、大阪、函館と、日本じゅうの海を自由に船で渡り歩き、

ついには民間人ながら大国ロシアと日本との交渉を成功させた

非常にスケールの大きな人物になりました。

 

司馬遼太郎は、そんな嘉兵衛をこよなく愛し、

「今でも世界のどんな舞台でも通用する人物」と称えたそうですが、

http://www.takataya.jp/nanohana/kahe_abstract/kahe.htm

淡路島を飛び出したきっかけは、隣村という非常に狭い範囲での、

人間関係のつまらぬ軋轢が心底嫌になったこと(身の危険もあった)。

 

歴史を振り返ってみると、

嘉兵衛にとって思い出したくないだろうその時期や経験がなければ、

後年の偉大な人物は現れなかったかもしれません。

 

中国の処世訓『菜根譚』には

 「逆境にいるときは、周りのすべてが身を養う鍼や薬となり、

  行動や信念を磨いてくれているが、人はそれに気づかない」

とあるそうですが、

まさに、自分の思うようにいかない時期こそ、

後に天高く舞い上がるための翼を準備している時なのかもしれません。

 

 

年明け早々、思いもよらない(不愉快な)出来事があった後でしたが、

私だけの貸切の(贅沢な)記念館で、嘉兵衛の生き方に触れるうち

私も、心が大きくなるような気がしました。

 

外に出ると、朝から降ったりやんだりの雨は上がって、

空気が澄み、かすかに良い香りも漂っているようでした。

 

雲間から差す夕日に、辺り一帯が金色にきらきらしていたことを、

今、思い返しています。

  

日本国憲法を世界に (2014.5.3

 

“憲法9条をノーベル平和賞に”と運動している人たちがいる。

最初に知った時、なんて素晴らしいアイデアだ!と思った。

しかも先月ノーベル委員会に平和賞候補として受理されたという。

今も署名を募集中と知り、今日、私も署名して投函した。

 

 ※関連の毎日新聞記事  http://mainichi.jp/select/news/20140503k0000m040050000c.html

 ※「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会のサイト

 https://www.facebook.com/nobelpeace9jou

 

 

戦争放棄を宣言する第9条はもちろんだが、

日本国憲法の前文を、日本国民はぜひ読み直してほしい。

日本国民のみならず、日本に住むすべての人々、

地球上のすべての人々と共有する価値のある内容だと思う。

 

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」 (日本国憲法より)

 

“平和憲法はただの理想論”という声があるのは承知している。

だが、安全な日本国内での戦争を知らない人の机上の空論より、

海外の命に危険がある地域で活動する日本人たちの

地に足の着いた、肌感覚の言葉に耳を傾けてほしい。

「憲法9条のおかげで僕たちは守られている」という言葉に。

 

昨年2013611日の毎日新聞夕刊の切り抜きを、

私は今でも持っている。

アフガニスタンで活動する医師・中村哲さんのインタビュー記事。

特集「憲法―この国はどこへ行こうとしているのか」小国綾子記者)。

少し長くなるが、中村さんの言葉をそのまま引用したい。

 

「欧米人が何人殺された、なんてニュースを聞くたびに思う。なぜその銃口が我々に向けられないのか。どんな山奥のアフガニスタン人でも、広島・長崎の原爆投下を知っている。その後の復興も。一方で、英国やソ連を撃退した経験から『羽振りの良い国は必ず戦争する』と身に染みている。だから『日本は一度の戦争もせずに戦後復興を成し遂げた』と思ってくれている。他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

 

「一時帰国し、墓参りに行くたびに思うんです。平和憲法は戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の位牌だ、と」

 

日本国憲法がアメリカから押し付けられたかどうかは、

どうでも良いこと。

アメリカにはアメリカの思惑や下心はあっただろう。

だが、それが本物でさえあれば、

自分で稼いで買ったダイヤモンドだろうが

誰かから無理に手渡されたダイヤモンドだろうが、

その輝く価値は変わらないのではないか。

 

しかも憲法には日本人たちの自主的な案も盛り込まれている。

そして、戦争を生き残った人たちが

どんなにこの憲法を喜んだかを、今も語っている人がいる。

 

世界がいよいよ混迷を深めているように見えようとも、

日本国憲法がたとえ“子どもっぽい理想論”に見えようとも、

この日本国憲法の理想が世界の標準になる日は近い、と思う。

 

 

「柔道はオリンピック競技にさせない」と言ったIOC委員  (2013.2.1

  

「柔道はオリンピック競技にさせない」と言った、  

国際オリンピック委員会(IOC)委員がいました。

アジア人初のIOC委員となった人です。

その人こそ、柔道を創始した嘉納治五郎その人でした。

 

嘉納治五郎は、後に東京オリンピックの招致に成功

1940年。戦争の激化により返上)

それでも、自分が生きている限り、柔道をオリンピックに参加させることも、

体重別にすることも認めなかったそうです。

 

「柔道がオリンピックの競技になったら、

 柔道は台無しになるだろう」と。

 

この嘉納治五郎の言葉を伝えたのは、

モーシェ・フェルデンクライスというユダヤ人。

嘉納本人に見込まれ、柔道をヨーロッパに導入することを嘱望された人です。

嘉納治五郎は、フェルデンクライスを立派な柔道家にするために、

フェルデンクライスが住んでいたパリに最高レベルの柔道家を送り込み、

援助を惜しまなかったそうです。

(嘉納とフェルデンクライスの出会いはドラマチックですが、省略。)

 

その結果、フェルデンクライスはヨーロッパ初の黒帯保持者に。

また、今や人口比で日本の6倍の柔道愛好者がいるフランスの、

フランス柔道連盟(前身)の設立にも関わりました。

 

 

そのフェルデンクライスが、あるインタビューで

「柔道がオリンピックに含められたら、柔道は終わりだ」

と言った嘉納教授は不幸にして正しかった、と述べています。

 

フェルデンクライスは言います。

今では、柔道の本質に反する暴力的な力がすべて、

 ということになっている

柔道は、あなたが相手の強さを使うことを学ぶ教育なのです」

小さい人が大きい人を投げ飛ばすことができるのが柔道なのです。

 

フェルデンクライスがこのインタビューに答えたのは、1977年。

35年以上も前のことです。

 

 

柔道のオリンピック代表の監督の、選手への暴力が

ついに表沙汰となり、問題になっています。

オリンピックで金メダルを取ることへの尋常でない重圧。

勝利至上主義。

 

フランスなどヨーロッパでは、勝つためのスポーツとしてではなく、

礼節や精神性を学ぶために柔道をする人も多いそうです。

 

オリンピックの試合で、相手選手への礼儀から

勝ってもガッツポーズをしなかった外国人選手がいました。

 

嘉納治五郎が死ぬまで守ろうとした柔道の本質は、

今はどこにあるのでしょう?