“マルハナバチの羽音”[ブログ]

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日馬富士と、失敗と学び (2017.11.29

 

引退会見をした日馬富士が、本当に気の毒でならない。

 

暴力はいけないし、注意するにしても相手に怪我をさせてはいけない。

複数の横綱をはじめ、先輩力士たちがいる密室で・・・というのは

被害者から見れば逆らいようもないリンチに違いない。

 

とはいえ、口で言って理解していたら暴力には及ばなかっただろうし、

「後輩のために」と思って礼儀を教えようとした気持ちは本物で、

しかも自分にではなく、他の人に対する無礼な態度を叱ったのだった。

酒に酔ってではなく、本気で自分は正しいと思ってやったことだった。

 

自分は正しいと信じていると、度を越し制御できなくなってしまう。

 (まさに戦争がそうだ)

日馬富士もそう反省している。

 

それでも、日馬富士の気持ちを思うと、私も無念だ。

彼は母国の医療系NPOに支援し、学校を建てるのみならず、

体の不自由な人に対する接し方が他の力士とは全く違っていたという。

病気の子どもたちを抱きしめたり一緒に遊んだりする、

心優しい人なのだそうだ。

気持ちだけでなく、横綱という立場だから可能な支援もあるだろう。

 

横綱の品格や責任は分かるが、

たった一度の行きすぎで「人生を棒に振る」としたら、やりきれない。

一度でも間違いを起こせば再起できないとなると怖くて何もできない。

何か救済措置があり、もう一度やり直せるチャンスがあれば、と思う。

日馬富士にだけでなく、誰にでも。

 

フェルデンクライス博士はメソッドをつくり上げる中で

柔道と並んで「赤ちゃんの学び」も大いに参考にした。

だからレッスンでは「気楽に失敗しなさい」という。

「失敗から学びなさい」と。

一度の失敗で後は全否定されるなら、どんな赤ちゃんも成長できない。

 

たとえば日馬富士が「降格」という形で許され、

再び精進の末に横綱になれたなら、より立派な横綱になるだろう。

その後、かねての希望通り親方となって部屋を持つなら、

弟子たちに、より適切な指導ができる立派な親方になるかもしれない。

 

失敗を学びに変え、再起できる機会を、日馬富士に!

そして、私たちみんなにも。

 

 

イツァーク・パールマン  (2017.11.5)

 

昨日、大阪のシンフォニーホールで

イツァアーク・パールマンのリサイタルを聴いた。

 

現在における最も偉大なヴァイオリニストの一人

といわれるイツァアーク・パールマン。

 

彼は子どものころ、ポリオを患って

フェルデンクライス博士から直接レッスンを受けていた。

「それだけでなく、パールマンはとても価値あることを

 博士から学んだらしいよ」

と、あるアメリカ人が、次のインタビュー記事を送ってくれた。

http://lamaruniversitypress.com/perlman-plays-inspires-at-fisher-lecture/

 

そのパールマンが大阪に来ると知り、聴きに行こうかなと思ったのが、半年前。

なのに、実際にチケットを買ったのは当日1か月前で、

東京や福岡のホールはすでに完売。大阪だけ、S席が数枚残っていた。

S席と言っても、残っているのは2階席の奥の方ばかり。

どうせ行くなら、さっさと買っておけば良かった。

 

そんなわけで、舞台のパールマンはずいぶん遠く、

いくらストラディバリウス、いくらシンフォニーホールでも、

ヴァイオリンの音が遠く聞こえ、曲によっては

伴奏のピアノの響きが勝っているように聞こえたのは残念だったけど。

 

それでもストラディバリウスは、弱音の表現でも豊かに響くのだ。

否応なく響く、という感じ。

 

それに、パールマンの、なんと自由に楽々と弾いていることか。

そして、ヴァイオリンを弾くのが楽しくてたまらない、という表情で。

左手がまるで別の生き物のように凄い速さで細かく動き、

おそらく難曲を弾いているのだろうけれど、

難しい感じ、無理な感じが全くなく、むしろ楽そうで、余裕。

それが名人なのだろう。

 

客席には、着物を着た女性もちらほら、外国人もちらほら。

ヴァイオリンを習っている子どもが親と聴きに来ていているのも

よく見かけた。

 

終演後の客席の惜しみない拍手には、名人芸への賞賛だけでなく、

パールマンへの大きな親愛の情を感じた。

彼の暖かい親しみのこもった人柄が反映しているのかもしれない。

 

なにか豊かで、暖かい贈り物をもらったような気持ちで

今、あのホールでの時間と空間を思い出している。

 

 

 

秋晴れの空 (2017.10.26)

 

今日は久しぶりに気持ち良い青空が朝から広がっていて、

 嬉しいな~と思って、

 青空がよく似合うかよちゃんにメールしたくなりました!」

 

そう書いてくれた友人のメールを読んで、わぁ、うれしいなぁと思った。

朗らかで気持ちのいい、今日のような青空と一緒に

私を思い出してもらえるなんて。 

 

10月には、いつも、大好きな八木重吉の詩を思い出す。

 

   「素朴な琴」

 

   この明るさの中へ

   ひとつの素朴な琴をおけば

   秋の美しさに耐えかねて

      琴はしずかに鳴りいだすだろう

 

でも今日は、秋雨や超大型台風が続いた後の、久方ぶりの青空だから、

風景も音も、何もかもが楽しげで、うきうきしている。

  

P.S.

斉田好男先生の指揮法ゼミで、シューマン『子供の情景』の終曲にOKをもらった。

バンザイ!

 

地元で、えひめ国体 (2017.10.8

 

先週木曜日から、えひめ国体の馬術競技が

三木ホースランドパーク(兵庫県)で開催されている。

うちから車で30分足らず。

 

主催県に施設がない場合、他府県での開催が増加しているそうだ。

三木市の馬術競技場は西日本随一だそうで、

和歌山国体に続き、ここ3年で2度目の開催。異例の頻度という。

競技はたったの5日間。そのために新たに土地を切り開いて

施設をつくるのに比べ、とても合理的だ。

 

というわけで、毎日のように馬術競技を見に行っている。

全国都道府県の代表、トップ騎乗者たちの競技会なのだから。

 

今日はよく晴れて、残暑逆戻りの暑さだったが、

馬と人が目の前で疾走し、障害を次々と飛越するのは

いつまでも見ていて飽きない。

 

素人なりに、「この騎乗者は無理がなくて馬にも負担が少なそうだ」

「踏み込みのタイミングがいい、流れが自然だ」

と感じる選手は、見ていて気持ちがいい。

反対に、毎回、障害の直前で少しブレーキがかかる選手や、

飛越した後、バランスが前のめりになったりする選手もいて、

「馬にとっては走りにくいだろうな」などと思ってしまう。

 

ところが、私が「見ていて気持ちがいい」と思う選手の馬が

残念ながら後ろ脚を引っかけて障害を落としてしまうこともよくあるし、

逆に、飛ぶたびに騎手が少しバランスを崩しているようだけど

“運よく”脚を引っかけなかったことで減点なく、上位入賞の人馬もあった。

 

前日にある種目で優勝した実力ある馬に乗れる騎手もいるし、

そうでなくても前日に同じような障害を飛んだ経験のある馬もいれば

この競技場のこれらの障害は初めて飛ぶ馬に乗る騎手もいる。

しかも、馬という別種族の生き物がパートナーなのだ。

騎手個人の実力だけを純粋に競うわけではなく、条件はかなり不公平。

馬術というのは、考えてみれば不思議な競技である。

 

ところで、競技馬場前の観客席に座って観戦する人々、

そこを行き交う人々、選手も関係者も。

岩手や鹿児島や埼玉や北海道や、愛媛や山口や長野や東京や

もちろん地元三木や神戸の見物客も。

さまざまな県名のユニフォームや、イントネーションが入り混じって

「うわぁ、ここに47都道府県すべてからの人たちがいるんだなぁ」

と思うと、とても面白かった。

 

ふだんはまず、そんな環境は、ありそうでないのだから。

 

明日は最終日。

 

秋の朝 (2017.9.27

 

昨日の朝、窓を開けたら、はじめて、ふっと金木犀が香った。

 

前日帰国し、駅からスーツケースを引っぱって歩いた午後三時は、

残暑真っ盛り、という感じだったのに。

 

今日は午前の雨が上がった後、急に冷たくなった風が

ときどきそこらを吹き渡っていて、どんどんあたりを清めていく。

 

この前の秋分の日は、サンフランシスコで迎えた。

1週間のセミナーの途中、ユダヤ人のクラスメートが

「明日はユダヤの新年だから」と中休みより1日早く家へ帰った。

家族みんなでお祝いする新年のイブに、ご馳走を作るそうだ。

秋分から始まる1年。

 

白露の候 (2017.9.14

 

すっかり秋の風が吹いている。

 

この夏は、とくに8月は、毎日異様に暑かった。

このあたりは、ずっと晴れて太陽がギラギラしていた。

夏生まれだから寒いより暑い方が好き、と公言し

いつもは喜んで太陽の光を浴びまくっている私ですら、

太陽に照りつけられるのを極力避けていたくらいだ。

 

それが、8月の終わりごろ、ある朝、秋がやってきた。

 

朝の光が、急に透明感を増し、

気がつくと、蝉の声が聞こえなくなっていた。

夏の間、ほとんど聞こえなかった鳥の声が

遠くから聞こえる。

 

今朝、赤とんぼが目の前を、スイスイと飛んでいた。

9月も早、半ば。

 

夏がヒートアップする直前の7月、

「テリントン・タッチ」講習会のため岐阜へ行ってきたのが

ずいぶん前のような気がする。

 

今日という日は  2017.7.28

 

今日という日は、特別な日。

 

ひまわりの蜂蜜でお祝いだ。

 

続・マルハナバチの缶詰 2017.7.11

 

アメリカにはマルハナバチの缶詰がある、

と教えてくれた方から、その後、あれは

Bumblebee(マルハナバチ)というブランドの缶詰がある」

と言ったつもりだった、と訂正された。

 

日本でも蜂の子を食べたりするそうだから、

アメリカでもそうなのかと思っていた。

“欧米ではマルハナバチは愛されている”と聞いていたから

「マルハナバチが好き」と言っても、いろいろあるものだと。

 

マルハナバチ印ということなら、

スポーツ用品メーカーの「ヒュンメル(hummel)」も

ドイツ語でマルハナバチ(を意味するhummelのデンマーク語読み)だ。

やっぱり愛されている。

 

ところで、今日の午後、蜂蜜の箱が届いた。

注文したのは昨日。

 

最近、本やDVDをアメリカに注文して、到着が2週間後とか、

  (送料が一番安い配送方法を選択したからだけど)

注文で相手との意思疎通がまずくて、さらに2週間かかったり、

国内でも、直接出版社に注文した本が3日後に届いたり

ということが多かった。

だから、昨日注文して、今日には手元に届いたのはびっくり。

しかも2時間ごとに時間指定ができるなんて。

  (クロネコヤマトの配達員さん、ありがとうございます。)

でも日本の消費者は、これが当たり前だと思ってはいけない。

 

それはともかく。

 

私は蜂蜜が大好きなのだ。

去年買ったイタリアのオレンジの蜂蜜、それから

九州の蜜柑の蜂蜜を、ときどき大事にスプーンで一舐めする。

ミツバチが一生かかって取れる蜜は、わずかスプーン1杯だそうだ。

 

注文したのは、ルーマニア産の菩提樹蜂蜜とヒマワリ蜂蜜、

それに中国産の菜の花蜂蜜を少しずつ。

 

菩提樹(リンデン)は、以前この時季に布引ハーブ園を訪れたとき

とても良い香りの花をつけていたから。

そこで飲んだリンデンのハーブティーもおいしかったし。

 

中国の菜の花蜂蜜は、以前にテレビで、広大な菜の花畑と

家族で旅をしながら蜂蜜を集める若い養蜂家の話を見たことがある。

彼が、もっと若い頃に蜂に刺された手の傷跡を、勲章だと語り

仕事に誇りと愛情をもっている姿が、印象深くて、

菜の花の蜂蜜、いつか食べてみたいなぁと思っていた。

 

届いた箱を開けたら、蜂蜜が丁寧に丁寧に梱包されていた。

 (山田養蜂場の皆さん、ありがとうございます。)

 

 

マルハナバチの缶詰? (2017.7.1)

 

このブログをご覧になった方から、

「マルハナバチがお好きなんですね」と言われた。

 

はい、私はマルハナバチが大好きなんです、と言うと、

その方が、「アメリカにはマルハナバチの缶詰“があるんですよ」

と教えてくれた。

えっ、マルハナバチの缶詰?

「農業用ですか?」と私がバカなことを聞いた。

(授粉用にたしかにマルハナバチは農業で使われているけれども、

生きたマルハナバチを缶詰にしたら、窒息死してしまう)

 

実は、アメリカではマルハナバチを食べるのだそうだ。

「おいしいんですよ」とおっしゃった。

 

 

マルハナバチは、体が大きくて

ブーンと低いうなり声のような羽音をたてる。

だから怖がられるけれども、刺すことはめったにない。

コロンとした大きな体に不似合いの小さな羽根で

飛ぶさまが、私は可愛いと思う。

 

マルハナバチは英語でbumblebee(バンブルビー)と呼ぶが、

蜂がブンブンいうことをbumbleという。

“bumble“には「へまをする」という別の意味もあるが、

ところがどっこい、マルハナバチは、自由に空を飛び

軽々と空中静止までできるのだ。

 

1930年代、科学者が航空力学でマルハナバチの飛行を

説明しようとして失敗。

「マルハナバチは航空力学上、飛行不可能」と結論づけた。

 

それでもマルハナバチは飛ぶ。

 

    ★以前に私がマルハナバチのことを書いた通信。

              ↓

それでもマルハナバチは飛ぶ.jpg
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祝・ご襲名 2017.6.26

 

昨夜、テレビをつけて、あっ!と思った。

知っている顔が映ったからだ。

豊竹英太夫さん。

 

日曜9時からの「古典芸能への招待」NHK)で、

英太夫さんが六代豊竹呂太夫を襲名され

この4月に国立文楽劇場で行われた披露公演の収録だった。

 

10年も前になるが、この豊竹英太夫先生(当時)

「義太夫」発声講座に、大阪へ1年間通ったことがある。

1年と言っても月1回なので、ほんの少しかじった程度だが・・・)

http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/h29/bunraku45/

 

文楽(人形浄瑠璃)で、三味線と掛け合いながら

物語のナレーション、登場人物のセリフを語るのが太夫。

語りというけれど、歌のようでもある。

そして、そのメロディは、まさしく大阪弁そのものなのだ。

 

関西以外、たとえば東京で生まれ育った人が

義太夫節に憧れて学ぶとしたら、とてもとても難しいと思う。

イントネーションの高低は真似できたとしても。

関西出身の俳優や私が標準語をしゃべっても、微妙に違うのと同じで。

 

英太夫先生(当時)の発声講座では、毎回はじめに

 「とと(父)さまの名は十郎兵衛ぇ~、

 かか(母)さまの名はお弓と申しますぅ~」

と大声で発声練習したのを思い出す。

英太夫先生はとても気さくで、愛嬌のある方だった。

 

「豊竹呂太夫」は明治初期から続く重要な名跡だそうだ。

英太夫改め豊竹呂太夫先生、ご襲名まことにおめでとうございます。

 

【襲名披露特設サイト】http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/h29/bunraku45/

              

馬、はじめました 2017.6.14

 

乗馬を習い始めた。

昨日が4回目のレッスン。

 

乗馬は、「そのうちやりたい」と思っていたことの1つ。

そのうち・・・と言うなら、今始めよう、と思った。

 

なぜ乗馬?の理由など、探せばいくつでも見つかる。

子どものとき、六甲山牧場でポニーに乗せてもらうのがうれしかった

(後でもらえるポニーの絵の赤いバッジがうれしかった気もするが)。

1のとき大好きだったアニメ「リボンの騎士」で、

サファイア王女が男装で白馬に乗るのがカッコ良かったこと。

そうそう、松平健さん演じる凛々しい「暴れん坊将軍」が、

白馬で颯爽と海岸を駆けるシーンも、毎日見ていた。 

 

大人になってから、信州の観光地で馬に乗ったのは今から15年も前。

9月初めで、ちょうど夏休みが終わったばかりの牧場に、客は私一人。

何時間かマンツーマンで教えてもらい、最後には曲がりなりにも

インストラクターと馬を並べて(それぞれ騎乗して)裏山を歩いた。

(もちろん、馬が賢いのである。初心者を乗せても決まった通り動けるのだから。

そして、もちろんインストラクターの存在があってこそ。勘違いしてはいけない。)

 

 1年前から友人の娘さん(現在小4)が乗馬クラブに通い始めたこと、

また最近、知人が近くで乗馬を始めたと聞いたこともそうだが、

きっかけが、もう1つ。

 

❝Singing with Your Whole Self –The Feldenkrais Method and Voice

  (あなた全体で歌うフェルデンクライス・メソッドと声)

という声の本の中に、2か所、乗馬についての記述があったのだ。

1つは、フェルデンクライス・メソッドを馬に応用したという

リンダ・テリントン-ジョーンズのメソッド「TTEAM」。

もう1つは、「センタード・ライディング」という乗馬メソッド。

 

読んでいるときは、とくに気にも留めていなかったのだが、

昨年、アメリカの田舎でミア先生のセミナーに参加したときのこと。

休み時間に先生たちを訪ねてきた1人の女性を、レオラ先生が

「友人のリンダ・テリントン-ジョーンズよ」と紹介するのを聞いて、

なぜか「ひょっとして、あの本にあった人?!」とピンときた。

そして見ず知らずのその人のところへ行って、サインをしてもらった。

TTEAM」がどんなものかも知らなかったのに・・・。

ハイ、ただのミーハーです。

 

後々に調べてみると、リンダ自身が世界的に有名な馬のトレーナーで、

TTEAM」は世界10か国くらいで教えられているらしい。

 

・・・まぁ、始めたきっかけも理由も、本当はどうでも良くて、

馬が、かわいい。

颯爽と、カッコよく、自由に、そして馬とともに気持ちよく

乗れるように、早くなりたいものである。

 

 

晴れのサンフランシスコ (2017.6.5)

 

早くも一月以上が過ぎてしまった。

 

この写真は、カリフォルニアでのミア先生のセミナー最終日。

友人がセミナー会場から空港まで送ってくれる途中、

「世界一有名な」サンフランシスコの橋を背景に撮ってくれたものだ。

 

地元在住のその友人によると、サンフランシスコがこんなに晴れるのは珍しいらしい。(意外にも、ふつうは曇りがちだそうだ。

4月最後の日曜日で、この近くの芝生の広場は、本当に大勢の人でにぎわっていた。みんな太陽をいっぱいに浴びるのが、うれしくて仕方がない、という感じだった。(曇りでも日傘をさし、顔まで覆って日焼けを避ける日本の女性とはえらい違いだ。

 

えっ、4月終わりの格好?と思われそうな服装だが、実はサンフランシスコは寒いのだった。それに風がとても強く、冷たい。

「寒いから重ね着しておいでよ」とアドバイスしてくれた友人の言葉に従って防寒着を用意したつもりだったが、「これじゃあ足りないわ!」と、このダウンジャケットとマフラーを貸してくれた(雪国並みの毛糸の帽子まで!)。

 

このセミナー中、不覚にも風邪を引いてしまい、頭がボーッとする初めの期間を過ぎても、ひどい咳が収まらなかった(受講生仲間には本当に申し訳なかったのだけど)

滞在型のセミナーで、その施設は美しい湾が見える山の中腹に、宿泊棟や食堂、レッスン会場が点在する形だった。

・・・晴れた日、元気なときはそれでいい。しかし、雨の日や、まして体調の悪いときは、酷い目に合う。

宿泊棟は食堂とレッスン会場の間にあった。朝、レッスンに向かうには、森の中の急な勾配を、つづら折りのように下って行き、ランチにはレッスン会場からまた、うねうねと山道を登って宿泊棟を過ぎ、さらに食堂まで坂道を上って行くのだった。

風邪でゴホゴホ咳をしながら、食事をするにも1日2回上って下っての往復。とはいえ、雨が降ったのは1回だけだったし、とにかく初夏の森の中は本当に気持ちが良かった。

空気は冷たかったから、毎回外へ出るときには、友人が貸してくれたダウンジャケットとマフラー、スキー帽が本当に助かった。

  

今年は9月にもう一度、ミア先生たちのセミナーに行く予定。

これからサンフランシスコへは、たびたび仕事で行くことになるだろうと思う。

 

 アンカヴァーリング・ザ・ヴォイス神戸講座2017.4.8

 

フィンランドの“ラウル・コウル(歌の学校)”の

メリヤ先生が神戸に来られ、講座が開催された。

 

フェルデンクライスの生徒さんたちや、

私が10年以上前に歌っていた合唱団の方たちも参加してくれた。

 

そのころ、その合唱団だけでなく別の合唱団でも歌っていたが

そのときの私が、メリヤ先生の言うこの歌い方を聞いたら、

物足りなく思ったか、奇妙に思ったかもしれない。

とにかく、そのころの私や周りの人たちの歌い方とは違う。

 

メリヤ先生は何度も「健康な歌い方」と言っていた。

先週のアンカヴァ牛窓合宿でも、

「声はbuild(建物のようにつくる)ではなく、free(自由にする)」

「自分が向こうに向かって歌いに行くのではなく、

声が向こうからやって来る」

と言われたが、それは私たちの思っている歌い方とはかなり異なる。

昔の(少なくとも100年以上前の)イタリアでは

当たり前だった歌い方だそうだ。

 

そこでは「聴くこと」

「聞こえてはいないが、すでに空間に満ちている響きを聴き出すこと」

が強調される。(トマティス・メソッドとも通じる。)

 

今日は2時間ずっと、具体的な曲ではなく

アンカヴァーリング・ザ・ヴォイスの歌の学校のエクササイズばかり。

それが私には楽しい。

(私は合唱団でもコンサートより毎回の練習が好き。

たぶん、声を出すこと、歌うことそのものが好きなのだ。)

 

で、普通の声楽などの発声練習と少々違うのは

多様な子音+母音とシンプルな音型の組み合わせの、様々な発声練習が

つねに具体的でポジティブなイメージとともに誘導されること。

「鼻の横を翼のように広げて」「微笑んで口角が耳の方へ来るように」

「響きが後頭部から上へジャンプするように」

といった技術的なイメージだけではなく、

「噴水の水が噴き上がるように」

「噴水の水滴が飛び散るように」

「頭の上に青空が広がっているように」

「朝の日の光が向こうから差してくるように」

といった、気持ちが明るくなったり楽しくなったりする、

心地よいイメージ。

すると、とたんに声が生き生きとして輝き出す。

 

まるで、それらの短いフレーズで遊ぶかのように。

それが、「動きを使って(赤ちゃんのように)遊ぶ」

フェルデンクライスにも似ていて面白い。

 

 

近ごろ、しきりに

「神は遍在する(あまねく存在する)」という言葉が思い浮かぶ。

本質的なことは地下水脈でつながっていて、

それが一見、別々の場面で、異なる姿で表れてくるが

あぁ同じことを言っている、つながっているのだ、と気づかされる。

 

 

 

1日ワークショップ (2017.3.1)

 

2月最後の日曜日、東灘区民センターで

フェルデンクライスの1日ワークショップを行なった。

基本編で選んだテーマは「肩甲骨」(午前)と「股関節」(午後)

フェルデンクライスが初めての方もあり、最初に行なったのは

肩甲骨の在り処と動きがとても感じられるレッスンの1つ。

ワークショップなので、ふだんKCC(三宮)や元町ではしない、

ペアでお互いの肩甲骨を感じるワークもやった。

自分の肩甲骨がより感じられるだけでなく、

他の人が少しずつ違うやり方で肩甲骨を動かしているのも分かる。

 

今月26()の西区民センターでの1日ワークショップこちらでは

同じ「肩甲骨」がテーマだが、また別の、

さらに胸鎖関節や肩甲骨と胸郭の関係が感じられるレッスンを

しようと思っている。

 

骨や関節の名前・構造などの知識をすでに持っていることは

もちろんプラスであるし、新しく知ることも助けになる。

だが、「知っている」「分かる」と「うまく使える」は別のこと。

  (解剖学的知識のある医者が、うまく体を使っているとは限らない。)

「うまく使える」ためには、まず「感じられる」必要がある。

 

私がワークショップでした、簡単な解剖学的な話は

基本的な解剖学の本を読めば、必ず書いてある基本の基本。

私が話したこと以上によく知っている参加者も、もちろんいる。

でも、フェルデンクライス・メソッドが優れていると思うのは

 “動きを使って”、体のつながりや機能的な使い方を感じるように、

レッスンが組み立てられていることだ。

骨の知識のあるなしに関わらず。

ふだんしないような動きをあれこれ探っていくことは

知識よりも直接的に、脳・神経系を通して、動きのパターンを変える。

これをフェルデンクライスは“神経の配線のつなぎ直し”と呼んだ。

 

2/26のワークショップでフェルデンクライス初体験だった方は

レッスン後の感想で「まだよく分からないけれど」とおっしゃった。

それでも、「肩甲骨や肩・胸上部のあたりが楽になった」

「重心が下がって足裏がしっかり地についている感じがする」

「今、ヴァイオリンを弾いたら、違う音色がすると思う」

そんなことを感じられのなら、それで十分である。

すでに、今までとは違う体の使い方も、選択肢に持ったわけだ。

習慣的が強ければ強いほど、早くいつものパターンに引き戻されるが

「このパターンしかない」のと「これかあれか、選べる」のとは、

大きく異なる。

 

「体の正しい使い方(あるいは正しい姿勢)はこうである」

と知識として知る・覚えることよりも

レッスンを通して「あ、こんなふうに動くと体は楽なんだ」

「あ、ふだん自分はこんな使い方をしていたから痛かったのか」と

気づけることが、本当の学びだろう。

 

フェルデンクライス・メソッドは学べば学ぶほど奥が深いが

それは、自分の体も同じこと。

一番よく分かっていないのは、自分の体、自分のことだろう。

レッスンを受ければ受けるほど、少しずつ自分に気づいていく。

 

レオラ先生がフェルデンクライス・メソッドのことを

“体の動きを通してAwarenessをもたらすワーク”だと言っていた。

Awarenessはよく「気づき」と訳されるが、目が覚めた状態。

動きを通して“自分のことを、より発見する”ワークだと。

 

よく分かっていないブラック・ボックス状態の体に

11つ気づいていく・・・とすると気が遠くなるかもしれない。

でも、これもレオラ先生がよく言うことだが、

“体は万華鏡と同じ。1つ変われば、すべてが変化する”のだ。

 

ところで、今回の1日ワークショップ、

私自身にとっては、とても楽しい体験だった。

1時間ちょっとのレッスンとは違って、時間がたっぷりあるし。

参加した皆さんにとってはどうだっただろう?

レッスン自体が終わっても、脳の中ではさらに情報処理が続く。

つまり、脳の中での配線のつなぎ直しは終わらない。

ワークショップ会場を出た後で、帰り道で、おうちで、

あるいは翌日に、2~3日後に、職場で・・・

さらにどんなことに気づいたか、ぜひお聞きしたい。

ワークショップの5時間だけでなく、その後も含めて

レッスンから受け取れるものがある。

 

さてさて、3/26()は、どのレッスンを選ぼう?

 “祈りのレッスン”か“ヴァイオリンの動き”か、それとも・・・。 

 

魔法の勉強 (2017.1.1

 

ある人が

「勉強は、本当は楽しいんだ。

成功法則がたくさん詰まっている魔法を

勉強しているのと同じだから」

と言った。

 

物理学の延長で、月へ行くロケットが作れた。

飛行機だって、昔の人から見れば、魔法と同じだ、と。

 

本当にそうだ。

 

私が勉強しているフェルデンクライス・メソッド。

「メソッド」というのは、創始者でなくても

誰でも再現できるように方式化したものだから、

まさに、成功法則がたくさん詰まった魔法だ。

 

指導者養成コースの生徒だったころ、

説明しながら実演してくれる先生方の技術に

「まるでホグワーツだ」としみじみ思ったことを思い出す。

     ※ホグワーツ:ハリー・ポッターが通った魔法学校

 

若冲をハシゴ 2016.8.27

 

生誕300年で、盛り上がりが凄いらしい。

近年、急に大注目を浴びている、江戸時代の絵師・伊藤若冲。

若冲が生まれ活躍した京都に、展覧会を見に行った。

 

細見美術館には若冲が20点以上あり、今だけ一堂に見せてくれる。

http://www.emuseum.or.jp/exhibition/ex048/index.html 94日まで)

 

倉庫のような鉄の扉が開くと、いきなり、水墨画の鶏の数々。

黒一色、というのは正しくない。

墨だけでも濃淡と緩急、太細を自在に使い分け、

鶏が生き生きとして一幅の中に存在している。

特に、一気に描いた尾羽には、本当に鶏の動きまで見えるようだった。

 

その後で向かったのが相国寺の承天閣美術館で、

相国寺は若冲が「動植綵絵」や「釈迦三尊像」を寄進した寺だ。

その「動植綵絵」は明治以降、皇居が所蔵しており、

元の所有者・相国寺では、今、原寸大の精密な印刷が展示されている。

 

もちろん、本物が見られるに越したことはないけれど、

(今春東京での「動植綵絵」も出品された若冲展は3時間待ちだったとか)

テレビで細部をアップで見ていた数々の絵が、実物と同じ大きさで

部屋の壁一面にぐるりと30幅掛かっているだけでも迫力だった。

(東京かららしい団体客が「3時間も待って見た絵がこんなところに!」と叫んだ)

 

しかも本物の「釈迦三尊像」が、部屋の奥に「動植綵絵」の中心に

釈迦如来が両脇に普賢菩薩・文殊菩薩を従えるようにして、

並んで掛けられていた。

若冲が深く仏教に帰依していたことを、ここで初めて知った。

ここ相国寺では、観音懺法法要のたび

これと同じ形・順番で30幅が飾られたと知ると、やはり感慨深い。

 

さらに第2展示室では、金閣寺(実は相国寺の塔頭寺院の1つ)の

大書院の障壁画50面(重要文化財)すべてが展示されている!

これもテレビで見知っていたものの、

まさかここで本物を見られるとは思っていなかった。

http://www.shokoku-ji.jp/j_now.html 若冲展、124日まで)

 

承天閣美術館は「動植綵絵」が本物ではなく印刷物なので

見る価値が低いと思われているのか、見に来ている人が少ない。

そうだとしたら、もったいないことだ。

倉庫風の鉄扉のある近代的建物の細見美術館(個人美術館)に対し、

承天閣美術館は総本山の広大な敷地の一角に立つ、純和風の建物。

靴を脱いで入る美術館内はカーペット敷きで、お香の匂いが漂い、

2展示室へ向かう途中には、ガラス越しに石庭が眺められる。

この寺で自身の永代供養を望んだ若冲の精神的背景にも触れられる。

 

ところで、「動植綵絵」のカラフルさは、

墨の鶏を見慣れた目に、ものすごい情報量に感じられた。

緻密に描き込まれた絵、最高級らしい顔料を惜しげもなく使い、

何色にも塗り分けられ、重ねられた色。

画面いっぱいに描かれ、絵によっては色彩の氾濫にも感じられた。

 

その極彩色の絵の中で、鳥や魚たちは静止して見えた。

ちょうど歌舞伎役者が見栄をきるように、

空間上、絶妙な位置と姿勢で、ピタッと止まっていた。

墨一色の鶏たちの方が動いて見えたのは、なぜだろう。

 

承天閣美術館でもたっぷり時間を過ごし、外に出たら、もう夕暮れ。

いつの間にか体が冷えたので、近くの店で熱いお茶など飲んで

あったまって帰ろう。

・・・と思ったら、店内の方がよっぽど低温設定で、とても寒かった。 

 

でも、有名なニューヨークチーズケーキはおいしかった。

小さかったけど。

 

ゆる~いファン 2016.8.14

 

今年は全部で8つ見えた。

 

ペルセウス流星群の話である。

ピークの12日深夜から翌未明に6つ、14日の未明に2つ。

 

昨日も今日も、夜空にうっすらと靄がかかったようで

夏の大三角をはじめ、明るい星がいくつか見えていただけ。

流星群を見るにはあまり良い条件ではない。

ベランダで510分、ぼーっと空を見上げていれば

あっ、1つ流れた、というような、ゆっくりペースだった。

 

ペルセウス流星群で思い出すのは、

大学生のときの山行会の夏合宿。

北アルプスの稜線上に寝転がって見上げた星空だ。

 

真向いの大キレットに夕日が堂々と沈んだあと、

さえぎるものなく広がる空に、星が次第に数を増した。

 

・・・はて。どれくらいの流星を数えたのだろう?

肝心の流星のことは覚えていなくて

(街なかでより、よほど多かったに違いないが)

思い出されるのは、

大キレットの岩稜の切れ込みに入り込んでいくオレンジの夕日、

銀マットを地面に直敷きし、仲間と並んで流星群を見たこと、

北アルプスのど真ん中なのに、意外と町の灯りが明るかったこと、

そして、

こんな贅沢なロケーションで、ペルセウス流星群を見たのだ!

という誇らしい気持ちと。

                                       

 

小さいころ、母に連れられて、妹と私と3人で

ハレー彗星を見に行ったことを覚えている。

寒い冬の真夜中だった。

後に聞いたところでは、子どもの教育のため、というより

母自身が見たかったが夜中に1人で行くのが怖かったから、らしい。

しかし、ともかく、そんな母の影響もあったのだろう、

私も、ゆる~い天文ファンになった。

 

小学生のころ、祖父が買ってくれた学研まんが

『星と星座のひみつ』を、私はよく読んだものだった。

今では考えられないが、当時まんがは

「教育上良くない」と言われていた。

(国語の授業で「まんがを読むのは悪いか」というテーマで

 作文を書かされたこともある。)

だが、天文学のごく基本的なことを、

私はこのまんがで楽しみながら学んだ。

 

大学に入って間もないころ、地学(一般教養)の最初の授業で、

Y教授が南極調査に行ったときのスライドを何枚も見せてくれた。

そのうちの1枚には、

真っ白な雪原に、ポツンと犬の糞のような黒い物体が写っていて

「これは何だと思いますか?」 Y教授が質問し、

「当てた人にはご褒美をあげます」とおっしゃった。

教室中、誰も答えないので、思いきって手を挙げ

「隕石です」

と答えたところ、Y教授はちょっと驚いて見せて

「あとで私の研究室にいらっしゃい」とおっしゃった。

 

結局、私は教授の研究室を訪ねなかった。

今ならば、のうのうと研究室に行き、

お茶の1杯でもご馳走になっただろうが、

まだ厚かましさを身に付けていなかった新入生の私は

「教授は冗談でおっしゃっただけだ」

と自分に言い聞かせ、行かなかったのだ。

つくづく残念なことをした。

もっと南極のお話も聞けたかもしれないのに。

 

そしてもちろん、「隕石」と答えたのは、

あのまんがの知識がヒントになったのだった。

『星と星座のひみつ』は、今でも私の本棚の片隅に立っている。

 

勢い余って 2016.4.5

 

桜が、全身で咲いている。

 

枝いっぱいに開いた花だけでは足りなくて、

太い幹の、ごつごつした樹皮の裂け目からも

花芽を外に向かって伸ばし、花を開く。

 

枝まで順に登っていくのも、もどかしいかのように。

体の中の春が、勢い余って吹き出すかのように。

 

桜エネルギーがだんだん張って(はる・春)ふくらんで、

とうとう堪えきれずに内から皮を割き(さく)、

先(さき)へ先へと伸びて咲く(さく)。 さくら。

 

駄洒落ではない。たぶん、大和ことばが生まれたころの、

日本人の祖先たちの、驚きが言葉になったころの、名残り。

 

 

ひとつ上の学び (2016.2.19

 

この5月から、ミア・シーガル先生とレオラ・ガスター先生による

マスター・プラクティショナー・トレーニングに参加することになった。

 

ミア先生は、フェルデンクライス博士の最初のアシスタントで、

古くからの高弟の中でも、ひとり別格の先生。

ミア先生の娘レオラ先生は、幼いころから家に博士が出入りしていて

博士のメソッドが呼吸のように当たり前の環境で育ったという。

 

フェルデンクライス博士が亡くなって30年余り。

他の誰よりもこのメソッドを熟知する2人の先生による、

2年間のマスター・プラクティショナーのトレーニングコース。

言わばフェルデンクライスの大学院(修士)、といったところだろうか。

 

アメリカで7日間のセミナーが2年にわたって4回、合宿形式で行われる。

すでにプラクティショナー(開業者・実践者)として活動している人たちが

アメリカはもとより、世界中から集まってくるだろう。

 

ミア先生、レオラ先生から直接教えてもらえることはもちろんだが、

それぞれに経験を積んできた受講者仲間からも学べること、さらに、

レベルのまちまちな仲間たちを、先生はどのように教え導くのか。

 

 

宿舎の部屋の申込み、航空券の購入、セミナー前後のホテルの予約などが

ようやく一段落して、ホッとしているところ。

 

2月後半の今はまだ寒いが、ほんの3か月先は、もう陽気な季節で、

今ごろは新緑のオースティンで、どっぷり学びに浸かっている。

 

 

極上の音 (2016.1.16

 

クリスチャン・ツィメルマンを聴きに、びわ湖ホールへ行ってきた。

現代最高のピアニストと言われる1人。

 

ときどき彼は曲の中で、“沈黙の音”を聴いていた。

 

 

「黄金伝説」と「モノが語る世界の歴史」2016.1.9

 

神戸と東京で開催中の2つの展覧会が

間もなく111日に閉幕する。

 

    *   *   *

東京に行った折、せっかくだから

何か美術展も見て来よう、と調べて、

すぐに決めた――「黄金伝説」展。

古代地中海世界の秘宝の数々!と聞けば

絶対見たい。

 

小さい子どもは50円玉より5円玉をほしがる

(銀色よりも金色が好きだから)

と聞いたことがあるが、同じ心境である。

 

上野公園の入り口近くの総合チケット売り場に並ぶと、ほとんどの人が買っていたのは、

「モネ展」。(圧倒的に女性)

未だかつて、どんな権力者も

一度に見ることは叶わなかったほどの量と質の黄金が、

ここに集まっているというのに。

  

すぐ近くで「アート オブ ブルガリ」展も開催中だった。

こんな大きな展覧会を上野公園だけで同時に3つもするとは

さすが東京だと思った。

 

さて、その黄金展の中身は・・・まさに百聞は一見に如かず。

ここで何を書いても始まらない。だから、書かない。

本物の黄金の数々を、自分の目で見ないことには。

 

まだ会期の初めごろだったからか、人が少なく、

ひとつひとつを、ゆっくりと鑑賞できた。

小さな品が多いので(純金だから当たり前だ!)

壁の拡大カラー写真付きの解説を読んでから見ると、

その非常に精緻な細工の素晴らしさがよく分かる。

 

一目見ただけで次へ行く人は、他人事ながら、

もったいないなぁ、と思う。よく見れば、たとえば

立派な羽根の小さな天使がついていることに気がつくのに。

 

そうやって、たっぷり時間をかけて見て回り、

もうそろそろ終わりかな、と思ったところへ、

目玉のひとつ、総重量12キロの黄金の食器群が出てきた。

 

まだ全体の3分の2しか、見終わっていなかったのだ。

あぁっ、もう30分しかない、と思いながら

歩みを速めても、最後まで1つでも見逃すのは惜しい。

 

小さな金の指輪に目を凝らすと、

小さな小さな手をつないでいるデザインに気づいた。

当時、握手が結婚の象徴だったという解説を読む前に

自分で「発見」できたのも、楽しい。

 

蔦のような流麗な曲線の美しい王冠もあれば、

半獣の女神の後ろにライオン、スフィンクスなどの獣が

電車ごっこのようにつながって並んだ愉快な王冠もある。

 

見る品、見る品、どれも黄金色。

言ってみればモノトーン(単色)で、

しまいには本当に目に飽きるほど

黄金に満ちた空間で過ごすのは、贅沢この上なかった。

 

*   *   *

地元の神戸市立博物館では、同時期に

100のモノが語る世界の歴史」と題する

大英博物館展が開催されていた。

 

会期は100日以上もあったのに、

残り1週間を切って訪れた。

最後の3日間の連休は避けたが

やはり賑わっていて、中高年の方が多く、

しかも男性客が多いのが印象的だった。

 

100点のうち私の1点を選ぶとすれば

「ウルのスタンダード」。

ラピスラズリの群青の背景と、絵を表す貝殻の

黄みがかった白の対比が、際立って美しかった。

近寄って見ると、貝殻が剥がれ落ちて、

背面にあるラピスラズリについた窪みが分かるのも面白い。

 

この展覧会の目玉の1つだが、未だに用途は不明だという。

 

もう1つ楽しみにしていたのが、

「ヘブライ語が書かれたアストロラーベ」。

金色の円盤も、中の装飾も華麗で、美しかった。

 

そう言えば、「100のモノ」の中に、日本からの物が、

覚えているだけでも45つあった。何だか誇らしい。

縄文土器を転用した水入れ、柿右衛門の象、

鶴を施した和鏡、北斎漫画・・・日本で金継した茶碗も。

日本での展覧会だから、かもしれないけれど。

 

時代も国・地域もバラバラの100点の物を

縦横に関連づけた構成は、ざっと200万年前からの世界史を、

時間と空間を立体的にして(まさに時空を越えて)見せてくれた。

 

あぁ、世界史を勉強していて良かったな、と思った。

 

世界史の授業が受験に不要云々、と問題になったことがあるが、

それで勉強しなかった子たちは、本当に可哀想だ。

私自身は不真面目で、受験では「可もなく不可もなく」だったが、

学校で習った世界史の知識の断片があるだけで

その後の人生が、どれだけ豊かになったか分からない。

 

ところで、

「金製のゾロアスター教徒像」の解説によれば、

2500年前の世界最大の国ペルシアは

ゾロアスター教(「拝火教」と習った)が国教にもかかわらず

他の多くの宗教・文化に寛容だったという。

 

また、あの「アストロラーベ」が作られたらしい中世スペインでは、

ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラーム教徒が

平和に共存していて・・・(これも世界史の授業で習った!)

という解説を読むと、あぁ素晴らしいなぁと思う。

それが、「数学と科学に格段の進歩をもたらした」そうだ。

 

*   *   *

この2つの展覧会とも、残りはあと2日。

 

一目でも、“本物”を見ることには、価値がある。

 

 

血のにじむような努力 2015.12.6

 

1週間前、友人と御影を散歩するのに

たまたま、弓弦羽神社を訪れた。

 

弓弦羽(ゆずるは)神社といえば、

フィギュアスケートの羽生結弦選手が東北の震災後、 縁あって

神戸に来た折に参拝し、2年後のソチ五輪で金メダルを取った。

 

「それで多くのファンがこの神社を訪れるらしいよ」

と友人に知ったかぶりをしていたその日、

羽生選手が世界最高点を出した。

 

NHK杯が開催されていることすら知らなかったので、

夜のニュースで知って、驚いた。

 

世界最高得点322点。

スケートのことをよく知らない私が見ても、

NHK杯の羽生選手の演技は美しかった。圧倒的に。

 

ほんの23年前には、「最後までスタミナが持たない」

と指摘されていたのに、

演技の最後の最後でも軽々とジャンプを決める、

スピードを失わない、その体力は何なのだ。

 

試合後のインタビューで口にした(だが尋ねられても詳細を隠した)

羽生選手の“血のにじむような努力”とは何なのか。

 

スポーツニュースで元トップクラス(と思われる)のスケート選手は

「氷上だけでなく陸上でも、筋肉トレーニングなどに励んだのだろう」

とコメントした。

普通は“血のにじむような努力”と言えば、過酷な筋トレを想像する。

 

だが、むしろ、

筋力をアップすることよりも、動きや力の無駄を徹底的に省き、

不要な体力の消耗を最小限にしていくことを徹底したのではないか。

筋肉をつければ、ただ跳び上がるための筋力はつくかもしれないが

かえって、精巧に3回転、4回転するのは難しくなる。

 

他の選手と比べ、羽生選手は

ずっと少ない力で跳び上がっているように見える。

また、その回転はいつも“細い鉛筆”を思わせる。

回転軸に限りなく近いところで回るため、

エネルギーの消費を最小限に抑えられるのではないかと思う。

 

イチロー選手は、大リーガーにありがちな筋トレ、

むやみな筋肉増強を嫌い、独自のやり方で

しなやかに働く筋肉をつくっている、と聞いたことがある。

この二人はストイックな姿勢もよく似ているが、

体づくりも、世間が考えている正反対を目指しているのではないか。

 

 

名残りを惜しむ・心を残す (2015.11.2

 

お茶の先生の言葉に、なるほどなぁ、と思った。

 

お点前の人が、今手に持っているお道具とする)を置いて

次に取るべきお道具とする)に手を伸ばすとき。

 

目線が、もう次のにさっさと飛んでいるのを注意なさり、

「名残りを惜しむかのように、

からへ移る)距離の半分はまだに)心を残したままで」

とおっしゃった。

 

私などは、茶道を習い始めてもうすぐ2年になろうかというのに、

未だにお点前の手順を覚えきらない、不出来な生徒で、

「次は何をするんだったけ~」ということは、しょっちゅうである。

 

先生に言われた先輩は、当然、お点前の所作は全てできた上のこと。

でも、目線の移動という、一見小さなことだが、

案外、外から見ている者には、はっきりと分かるのだ。

 

なるほどなぁ、と思いながら思い出すのは、

ふだんの、別れ際の挨拶の場面。

 

お互いに懇ろにお辞儀をして顔を上げたとき、相手の視線は

すでにこちらにはなく、もう次の何か・誰かに移っている。

ご当人は気づいていないが、こちらは少し残念な気がする。

心がすでに私にはなく、次のことに向かっていることが伝わるからだ。

 

と言いながら、他の人のことは見えても

自分も案外、同じことをしているかもしれない。

フェルデンクライスで言うところの

  aware(気づいている・覚醒している)

は、難しい。

 

心を残しながら、次へと向かう。

お道具を持つ指先にも、心を配る。

 

お点前の単なる動作の手順ではなくて、

ひとつひとつのことに気を配っていること、気づいていること。

目覚めていること。

   

クールで、あったかい対応 (2015.9.30

 

アメリカに住む14歳の少年が、一から自分で作った時計を、工作の先生に見てもらいたくて学校に持ち込んだところ、授業中アラームが鳴って爆弾と間違われて大騒ぎになり、逮捕されてしまった(914日)。それに対してオバマ大統領が「クールな時計だね。ホワイトハウスに見せに来ないかい」と招待した。

――という話を聞いて、粋な対応だなと思った。

 

その少年がムスリムだから、「これはイスラーム系住民への差別・偏見ではない」とアピールしたい政治的意図も、もちろんあるのだろうけど。

でも、少年の「先生に見せたかった」という素直な気持ちが、誤認逮捕で人権を無視されたことで、本当に心が捻じ曲がってしまって、せっかくの能力で将来本物の爆弾を作ってしまう…可能性だって、なくはない。本当の(多くの人が誤解しているが)イスラームは、しごく真っ当で正しい宗教だから、帰依しているその少年なら、もともとそうならないだろうけど。とはいえ、不当に扱われれば、人間の心は傷つきやすいものだ。

だから、オバマ大統領がさらっとこういう対応をしたのは、クールだし、しかも人を人として尊重するあたたかさも感じる。大統領に褒められたら、うれしい。少年の名誉と自尊心も回復するし、よし、もっと頑張ろう、と思うだろう。大人の対応は非常に重要だ。

 

しかも、フェイスブックのCEOをはじめ、グーグルやNASAなど、名だたる会社や組織も、次々と少年を招待し、エールを送るコメントを送ったという。

 

クールじゃないか、アメリカ。

 



とんぼ返りで奈良へ

 (2015.9.18)


金曜日で開館時間延長、というので

レッスン後、三宮から奈良へ。


薬師寺の月光菩薩が圧巻だった。


阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)

後屏風の模様が、また素晴らしかった。

まるで、音楽が流れているようだった。




本物の色 (2015.8.29

 

昨日、ある展覧会に行ってきた。

会期末近かったが、遅い時間帯のためか

思っていたより客は少なかった。

 

いわさきちひろの原画展。

 

本や雑誌で今までに何度も目にした絵、

その本物を、間近で見ることができる。

 

ときどき客足が途切れて、絵を独り占めにできる瞬間も。

 

 

原画展の素晴らしさは、やはり本物の色にある。

どんなに絵本の印刷技術が素晴らしくても、

本物の色づかいを見ると、うわぁーっと思う。

うわぁ、きれいだなぁ、と思う。

 

ただ可愛いだけではなくて、絶妙な色合いの新鮮さに驚く。

本物の絵のもつ深み、奥行きが、

印刷された絵と比べることで、あらためて立ちあがってくる。

 

それに、原画は楽しい。

 

雑誌の表紙で見る、ある絵は、実はずっと小さかったり、

可愛らしい印象の女の子の絵は、ずいぶん大きくて立派な絵だったり。

よく見ると、実は白い絵の具で消した跡があったり。

紙に絵の具だけではなく、貼り紙をしているのに気づいたり。

 

絵の紙に、何かの拍子につけてしまったらしい皺を見つけたときは、

「画家は焦ったやろな」とか。

 

 

一流の音楽家の演奏は、たとえCDで聴いても素晴らしい。

だが、本物の演奏会で、音の響きに身を浸す生の体験は、

その場に居合わせた、限られた人だけが味わえる、別次元のこと。

 

響きが体に触れてくる。

色が体に触れてくる。

 

情報や知識がネットで簡単に手に入る時代だからこそ、

今この瞬間を共有するという生の体験が

これから、ますます輝きをもつことになる。たぶん。

 

 

続・ 又吉直樹氏に、フェルデンクライスを!  2015.7.21

 

又吉さんの根暗っぽさに前から好感をもっていた、と昨日書いたが、我ながら、いかにも芥川賞受賞直後のにわかファンのようで胡散臭い。(もちろん、芥川賞をきっかけに彼の良さを知りファンになる人がいるのも良いこと。)

 

私はファンというほどでもなく、考えてみたら、又吉さんの漫才を見たこともない。テレビでたまにしゃべっているのを見かけるくらい。印象に残っているのは、以前に「アメトーク」という番組で、“読書好き芸人”として太宰治を語り、古本屋で何冊も購入する姿を見たこと。へぇ~、こういう人なのか、と思った。

もうひとつは、「ビッグイシュー」という雑誌の巻頭のインタビュー記事。正確には思い出せないけれども、「暗いと言われる自分だが、他の誰にもなれない。だから自分は“又吉直樹”をやっていこう、と思った」といった内容が、今も印象に残っている。

 

「(本の出版で注目され)急にこの半年くらい騒がれても、浮かれられない。あまりにも長いことゴミのような扱いを受けてきたので」と芥川賞受賞の特集で言っていた。

高校卒業後に大阪から東京に出て、10年くらいは売れない下積みの時期が続いたという。仕事もなく、本を読むことで飢えを凌いでいたころもあったとか。種から出た芽が地上に出るまで、淡々と養分を蓄え、根を伸ばしてきたことを、誰も知らない。

 

 

フェルデンクライスは、見た目にカッコいい凄いポーズを決めるわけでもなく、頑張って筋肉を鍛え上げるわけでもなく、音楽に合わせてリズム良く体を動かすわけでもない。レッスンの動きを単なる“手がかり”として、自分の体を探っていく。今よりも自分にとってやりやすいスムーズな通り道を、いろいろと試してみる。

 

先日、個人レッスンを受けた方が「フェルデンクライスは、すごいですね!」と感心するので、何がすごいのかと尋ねたら、「こんなに地味で」と言われて面食らった。その方自身の感受性も素晴らしくて、まだ一、二度受けただけだが、今まで自分の中で疑問に思っていたことのヒントがたくさん見つかり、体にいろんな変化を感じているそうだ。

 

フェルデンクライスでよく言われるが、「頑張りと感受性は反比例」する。刺激が強いほど、感受性は鈍くなる。たとえば、辛過ぎる料理や濃過ぎる料理に舌が慣れていれば、だしの繊細で微妙な味わいは感じられない。同じように、自分の体の中の絶妙なつながりを感じようとすれば、大きく元気に頑張って動いてしまうと、何も感じられない。だからフェルデンクライスでは、よく「(最初は)小さく、ゆっくり動いてください」と言うのだが、それが見方によれば、地味・分かりにくい、となるのだろう。

 

分かりにくいし、パッとした派手さがないので、フェルデンクライス・メソッドを簡単な体操にまとめ、分かりやすい名前をつけて売り出している人も結構いる。もちろん、それも大事なことだし、第一、メソッドをよく理解している人でなければ簡単にまとめることもできない。

ただ、フェルデンクライス・メソッドは本来、ある天才的な物理学者が考案した、とても奥深い、大きな森のような、知的な学びの体系である。できれば私は、その源流に近いものを提供したい、と思っている。

 

 

明るくて元気で分かりやすく、声が大きくて瞬発的な芸人さんだけでなく、その逆の又吉さんのような人物が、近ごろじわじわと認められている(芥川賞受賞とは関係なく)。それが、うれしい。世間の価値観、人びとの意識が変わりつつあるのを感じる。日本では、ヨーロッパやアメリカと比べ、フェルデンクライス・メソッドが広まるのにとても時間がかかっているが、その価値が分かる人が日本でもようやく増えるだろうと思う。


 

そうそう、又吉さんならフェルデンクライス・メソッドの良さが分かるだろう、と書いたが、彼は大阪の寝屋川市出身だそうだ。

寝屋川の香里園に、同期の素晴らしいフェルデンクライス教師がいる。築百年の古民家でフェルデンクライスのレッスンを提供している安藤緑さん。http://feldenhouse.jimdo.com/  

彼女自身、体のあちこちに不具合をもっていたので、指導者養成コースではレッスンのたびに改善するのを実感していた。だからこそ今、膝痛や腰痛など、レッスンに来る生徒さんの痛みが分かるし、どのレッスンをすれば生徒さんが今より良くなるか、その生徒さんにどんなサポートが必要か、身をもってわかる。そんな宝物をいっぱい持っているから、素晴らしい教師である。

又吉さんが大阪に仕事で来るときや実家に帰るとき、ついでに安藤さんの「フェルデンクライス北斗星」に行ったら良いなぁと思う。又吉さんが好きそうな古民家だし。安藤さんも独特な笑いのセンスをもっているし。

 

おっと、ついおすすめを。以前、営業の仕事をしていた癖が出てしまった。(と言っても、学生時代の先輩・同輩からは、「西田に営業が務まるとは、とても信じられない」と言われていたのだが。)

 

又吉直樹氏に、フェルデンクライスを!  (2015.7.20)


又吉さんが、今あちこちのテレビに出ている。

芸人さんには珍しい、あの根暗っぽさ(というより、小雨の日のような物静かさ)、マイペースさに、前から好感をもっていたので、さっきもロバート・キャンベルさんとの対談に見入ってしまった。

彼がやっていること・思っていることは、本当にフェルデンクライス的やなぁ、と思う。

散歩が大好きだそうだけど、なぜ好きかといえば、一歩歩くごとに風景が変わり、自分に入ってくるものが変わるから。
今の自分の能力・才能を越えていくときに、自分以外のもの(人でも物でも)との関わりがとても重要と気づいている。

そもそも、「気づく」「発見する」ということを、とても大事にしている。
それがまさにフェルデンクライスっぽい。

彼なら、フェルデンクライスの良さが分かるやろうなぁ。

「フェルデンクライス、ええで~」と、今、又吉さんがつぶやいたら、あっという間に日本中にフェルデンクライスが知れ渡るやろうな。

若手芸人が世に出るための必須要素は「清潔で・明るく・分かりやすい」だが、「お前には、その全てがない」と言われたそうだ。

その彼が、自分を変えることなく(世の中に合わせることなく)、世間に認められた。

世間の価値観が変わり始めた
(本当は、もっと前から、水面下では変わり始めているけど)。
又吉さんが直木賞を取ったこと自体より、そのことで彼が一段と注目を浴びている今は、時代のはっきりした変わり目かもしれない。


一番星、二番星 (2015.7.14

 

久しぶりに夕空が晴れた。

 

金色とバラ色と青がまざったような

うすい菫色の、まだ明るい西の空に、

早くも金星が燦然と輝いている。

 

近くにあるはずの木星を探したが、

まだ空が明るくて見えない。

 

しばらくすると、

金星と並ぶように木星がうっすらと見え始めた。

 

木星と金星が重なるという、珍しい71日の夕空を

とても楽しみにしていたけれど、梅雨空の雲の中。

今日ようやく、隣りあう星が見えた。

 

それにしても、少しずつ夜が来るのが早くなり、

夏至の日から、もう3週間。

 

いつの間にか、空の青が深まって

あちらにも、こちらにも、一等星が見え始め、

西空の二つ星は、いよいよ輝きを増している。

 

 

私の前世は (2015.5.31

 

 

前世は、熊。

か小鳥か栗鼠…

だったか、と思うくらい、

木の実に惹かれる。

とくに、赤い実に。       

 

あ、縄文人だったかも。

 

縄文人は狩猟・採集民族、と思っていたけど

実のなる木を集落に植えたりもしていたらしい。

 

  写真は、庭の「ゆすらうめ」の実。

やわらかい緑の葉の間から、赤い実が

いくつも見え隠れしているのが愛らしいのだが

昨日、残らずせっせと摘んでしまった。

  

下の写真の奥にあるのは、

わが家で一番気に入っているティーカップ。

たぶん、この赤い実(こちらは葡萄)に心惹かれている。

 

道々の宝を見つける 2015.2.28

 

2月の終わりの日。

今日は朝からトクをした。

 

たまたまつけたラジオで聞いた、とってもいい話。

 

“『釣りバカ日誌』のハマちゃんのモデル”という、黒笹慈幾さんの

講演会「先を急がず、刺激を求める~新しいお遍路スタイルの提案」。
               (NHKラジオ第2放送)

 

黒笹さんは、私でも知っているアウトドア雑誌の元編集長だから

漫画どおりの「釣りバカのダメ社員」ではない、と思うけれど。

 

「正しい(ただしい)遍路、楽しい(たのしい)遍路」。

修行に始まり1200年続いてきた特別な旅「正しい遍路」だけでなく

これからは、「楽しい遍路」という別の路線もあっていい。

 

「のんびり楽しく、無理をしない」新しいお遍路を提唱するお話は、

最初こそ少し堅い感じだったが、話が進むにつれ、

『釣りバカ日誌』ハマちゃんの本領発揮で、どんどんノリノリに。

 

とっても楽しい。

 

これが黒ちゃんの口癖なんだろうな。

1時間の講演会で、何度もこの言葉が出てくる。

(「黒ちゃん」、お会いしたこともないのに、勝手に呼ばせてもらう。)

 

お話を聞いていて、

黒ちゃんの歩き遍路のススメはフェルデンクライスに似ている、

と思った。

 

まず、お遍路に出発する黒ちゃんに、お寺のご住職が贈ってくれた言葉。

 

「お寺には何もない」「道々の宝を拾いなさい」

 

今は、先を急いで1日にいくつものお寺を巡る観光バスもあり、

次のお寺に到着して印をもらうことが目的になっていたりする。

でも、「お寺には何もない」と言い切るご住職に、黒ちゃんは驚いた。

  

もちろん、お寺には立派な仏像もあるけれども、もっと価値ある宝は

お遍路でお寺からお寺へ歩く道々にこそある。

 

黒ちゃんが感動したこのご住職の言葉こそ、

「フェルデンクライスはゴール(目的)ではなくプロセス(過程)が大事」

ということを、とても分かりやすく表している。

 

それに、黒ちゃんの「とっても楽しい」歩き遍路と同じように、

フェルデンクライス博士が何度も言っていたのは

レッスンは「楽しく喜ばしい」必要がある、ということ。

「正しいか、間違いか」ではなく。


 

さて、その黒ちゃんの「とっても楽しい」歩き遍路には、

いくつか決めていたことがあるという。

 

まず、

・「ゆっくり遍路」・・・120kmまで。つまり、先を急がない。

途中出会った、全行程1400kmを数日で歩き切る超人的おじいさんに、

そのゆっくり具合を「あほか」と言い捨てられたとか。

                                    

・「寄り道遍路」・・・おいしいランチの店は、数km遠回りしても必ず立ち寄る。

 

・「夜遍路」・・・夜はカラオケ、居酒屋にも行って楽しむ。(あれば)

 

・「雨遍路」・・・雨の日の遍路。

ふつう、お遍路さんは雨の日は嫌がり避けたりするが、試してみた。

横殴りの暴風雨の日に歩いてみた。その結果、

散々だと分かったので、それ以降、雨の日はやめることにした。

決めつけず何でも試してみる。フェルデンクライスのやり方と似ている。 

          

・「トンネルは迂回する」

   直通で早く行けるトンネルだが、中はすごい騒音でもある。

   トンネルを迂回すると、遠回りだけど、必ずそこには

   とても景色の美しい旧街道がある。

 

そして、ゆっくり遍路には「気づきがある」。

 

あぁ、私も歩いてみたくなった。

できれば、道々みかんの花の香る、5月に。

 

 

※黒笹さんの「釣りときどきお遍路」日記はこちら。

http://www.nangokuseikatsu.com/archives/category/o-henroad

 

1つ上の選択  (2015.2.4

 

ビデオカメラを10数年ぶりに買い換えた。

 

買う、と決めてから、

どこのメーカーのどの機種にするか、いろいろ調べた。

 

前に使っていたのは、手のひらに乗る可愛いサイズで

レッスンに調べ物に、あちこち持ち歩いた。

 

使い慣れた機種に十分満足していたし

今回もそのメーカーにしようかと思っていたが、

最終的に候補に残ったのは3つ。

 

そのメーカーの、前と同じランクの機種と、

S社の同ランクの機種、

そしてS社の1つランク上の機種。

 

結局、S社の1つランク上の機種にした。

 

最初の2つの機種でも十分良かったけれど、

その機種の手ぶれ補正機能が、プロも驚いたレベルだというので。

 

その分、他の2つよりも重くなるので初めは迷ったが

この10数年での進歩はすごい。重くなる、と思った機種ですら、

前のより、20%近く軽くなっている。

 

10年先を考えたら、「これでもいい」ではなく、

1つ上を選ぼうと思った。

 

 

注文して届いた箱を見て、

「S社にして良かった」と思った。

 

もちろん、前のビデオカメラのメーカーもとても良い会社で、

他の主なメーカーもすべて、信頼できる日本の優秀な会社。

 

でも、S社のマークを見たとき

良いものを買った、S社なら間違いない、という気持ちになったのだ。

まだ箱も開けてないのに。 

 

それがブランド力。信頼感。

 

S社の「海外で絶大なブランド力」という評価も、

日本でも特に男性はS社のブランド名で買う、という話も、

プロのカメラマンもS社を選ぶ、という話も聞く。

 

でも、知識とは別の、

自分の心の奥から上がってきた信頼感。幸福感。

 

私もそうでありたい、と思った。

 

やっぱりおもろいな~ (2015.1.25

 

待ってました!

『秘密のケンミンSHOW』の、一県限定・大阪スペシャル。

            (2015122日放送)

 

かねがね、この番組は、ええ番組や、と思っていた。

なかでも大阪が紹介されるときは、期待でワクワクする。

 

やっぱり、大阪の人はええなぁ!

めちゃめちゃ面白い。

芸人(笑いのプロ)でない、一般の人が笑わせてくれる。

 

今回も、観終わってすぐに録画を直し、結局、二度

何を言うか分かっていても、また笑って幸せな気分になる。

 

「ここ、どこやと思てんねん。うどん食え!」

お兄さんの大阪弁の啖呵も、小気味ええなぁ。

 

カッコつけて気取らない合理的精神。

そして旺盛なサービス精神。

とにかく明るいのも、商人の町ならでは、なんやろか。

 

江戸時代、天下の台所「大坂」では、

財力ある商人が、日ごろ威張っている武士に金を貸したり

お上を頼らず、自ら橋をつくったりした(淀屋橋など)から、

庶民が見栄や権威を笑い飛ばす土壌がある。

 

私は大学が大阪だったので、地元・兵庫に次いで愛着がある。

その大学も、大阪財界の有力者がつくった大阪商業学校が源流の、

大阪市民による大学である。

 

もちろん、私の同級生や先輩・後輩、大阪人全員が

ケンミンショーに出てくる人と同じではない。

 

テレビ番組である以上、面白いところだけ取り上げ

編集・強調しているのは当然のこと(良いか悪いかは別として)

バラエティ番組でないニュース報道番組ですら、

制作者側が意図的に、情報を操作(とまで言わなくても)

取捨選択して放送するのだから、鵜呑みにしてはいけない。

情報はすべて、事実の一部ではあっても、真実とは限らない。


 

閑話休題。 

ケンミンショー・大阪特別編の「関西5大私鉄」比較も面白かった。

 

ところで、番組で紹介された

「阪神タイガースのイメージ」阪神電車の甲子園(西宮市)も、

「ハイソなイメージ」阪急電車の高級住宅地(芦屋市)も

タカラヅカこと宝塚歌劇団(宝塚市)も、

ぜんぶ、大阪府ではなく兵庫県ですぞ。

 

特に甲子園球場は、タイガースファン=大阪の人のイメージが強く

大阪にあると全国的に誤解されている、と思う。

ついでに言うと、十日戎の「福男選び」で有名な西宮神社も同じ西宮。

 

 

それにしても、今回はスタジオほぼ全員が大阪出身者で

皆が皆ワァワァ言うのが、いかにも大阪らしいが、

昨今、関西出身者がまさに席巻している他のお笑い番組と

あまり雰囲気が変わらないのが可笑しい。

 

1回に収まりきらない、大阪スペシャル。

次回放送の後編が、今から楽しみだ。

 

 

海に生きた男の心意気 (2015.1.15

 

明けましておめでとうございます。

 

年が明けて早くも2週間。

新年の挨拶をするには少し気恥ずかしいですが、

「松の内」は、広い意味では15日まで、とのこと。

この不調法、笑ってお許しください。

 

今年は新しいスタジオを開くべく

正月明けすぐに、具体的な買い物も始める予定だったのが、

年明けに、思いもよらない事情で一旦停止せざるを得なくなり

呆然としているうちに日が経ってしまいました(不調法の言い訳)。

 

とはいえ、この立ち止まる期間にも、何か意味はあるはず。

スタジオやレッスンのこと、今一度イメージし直す作業をしています。

 

 

年末から順調に進んでいたことに急ブレーキがかかった直後、

淡路島に行くことがありました。淡路島行きは、昨年からの予定通り。

これも行くことに決めていた高田屋嘉兵衛の顕彰館に行ってきました。

 

高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)。

司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公であり、

北前船で巨万の富を成した、淡路島出身の豪商。

・・・その名前くらいは知っていたものの、とくに興味もなかった。

それが昨年から気になり、淡路島へ行くなら是非、と決めていました。

 

淡路島の最南端から北上し、着いたのは夕方4時ごろで

高田屋顕彰館(記念館)には、私がただ一人の客のようでした。

はじめに親切な係員の女性が、私に合わせて、ホールの大画面で

嘉兵衛の生涯を上映してくださった後、ゆっくり館内を回りました。

 

館内の展示に、私の心がブルブルっと震えたのは、次のことでした。

 

江戸時代の当時、船にただ商品を積んで帰るだけ。

その商品は量目も品質もいい加減が当たり前だった中で、

高田屋は、品質を何等級にも細かく分けて管理し

量目もきっちりと正しく計って、誠実に商売をしていたので、

高田屋の船の商品だけは、日本中で計らずともそのまま通用した。

つまり高田屋の「高」の印は、まさに一流ブランドの証だった。

 

また当時、松前藩はアイヌを厳しく差別・不当に搾取していたが、

函館を拠点として北方を開拓していた嘉兵衛は

アイヌの人々に敬意をもって接し、日本人と同じく厚遇したので、

アイヌの人々からも信頼され、いつも人が集まってきた。

 

嘉兵衛は少年時代、貧しさ故に、隣村の親戚の家で暮らさざるを得ず、

その村の同年代の少年たちから嫌われ、村八分にされていました。

自分が人間として正当に扱われず、心底つらい思いをしたからこそ、

後年嘉兵衛は、アイヌの人々を同じ人間として大事にしたのでしょう。

 

また、正しい量目や品質管理は、今でこそ当たり前ですが、

でたらめな量目や粗悪品も当たり前の風潮の中で、

周りがどうあれ、自分が良しとする基準に従い、誠実に商売をする。

誰に対してでもなく、自分自身に対して恥ずかしくない仕事をする。

すると、そのうち時代がついてくるのですね。

 

淡路島の貧農に生まれた嘉兵衛は、少年時代に淡路島から飛び出して

神戸、大阪、函館と、日本じゅうの海を自由に船で渡り歩き、

ついには民間人ながら大国ロシアと日本との交渉を成功させた

非常にスケールの大きな人物になりました。

 

司馬遼太郎は、そんな嘉兵衛をこよなく愛し、

「今でも世界のどんな舞台でも通用する人物」と称えたそうですが、

http://www.takataya.jp/nanohana/kahe_abstract/kahe.htm

淡路島を飛び出したきっかけは、隣村という非常に狭い範囲での、

人間関係のつまらぬ軋轢が心底嫌になったこと(身の危険もあった)。

 

歴史を振り返ってみると、

嘉兵衛にとって思い出したくないだろうその時期や経験がなければ、

後年の偉大な人物は現れなかったかもしれません。

 

中国の処世訓『菜根譚』には

 「逆境にいるときは、周りのすべてが身を養う鍼や薬となり、

  行動や信念を磨いてくれているが、人はそれに気づかない」

とあるそうですが、

まさに、自分の思うようにいかない時期こそ、

後に天高く舞い上がるための翼を準備している時なのかもしれません。

 

 

年明け早々、思いもよらない(不愉快な)出来事があった後でしたが、

私だけの貸切の(贅沢な)記念館で、嘉兵衛の生き方に触れるうち

私も、心が大きくなるような気がしました。

 

外に出ると、朝から降ったりやんだりの雨は上がって、

空気が澄み、かすかに良い香りも漂っているようでした。

 

雲間から差す夕日に、辺り一帯が金色にきらきらしていたことを、

今、思い返しています。

  

日本国憲法を世界に (2014.5.3

 

“憲法9条をノーベル平和賞に”と運動している人たちがいる。

最初に知った時、なんて素晴らしいアイデアだ!と思った。

しかも先月ノーベル委員会に平和賞候補として受理されたという。

今も署名を募集中と知り、今日、私も署名して投函した。

 

 ※関連の毎日新聞記事  http://mainichi.jp/select/news/20140503k0000m040050000c.html

 ※「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会のサイト

 https://www.facebook.com/nobelpeace9jou

 

 

戦争放棄を宣言する第9条はもちろんだが、

日本国憲法の前文を、日本国民はぜひ読み直してほしい。

日本国民のみならず、日本に住むすべての人々、

地球上のすべての人々と共有する価値のある内容だと思う。

 

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」 (日本国憲法より)

 

“平和憲法はただの理想論”という声があるのは承知している。

だが、安全な日本国内での戦争を知らない人の机上の空論より、

海外の命に危険がある地域で活動する日本人たちの

地に足の着いた、肌感覚の言葉に耳を傾けてほしい。

「憲法9条のおかげで僕たちは守られている」という言葉に。

 

昨年2013611日の毎日新聞夕刊の切り抜きを、

私は今でも持っている。

アフガニスタンで活動する医師・中村哲さんのインタビュー記事。

特集「憲法―この国はどこへ行こうとしているのか」小国綾子記者)。

少し長くなるが、中村さんの言葉をそのまま引用したい。

 

「欧米人が何人殺された、なんてニュースを聞くたびに思う。なぜその銃口が我々に向けられないのか。どんな山奥のアフガニスタン人でも、広島・長崎の原爆投下を知っている。その後の復興も。一方で、英国やソ連を撃退した経験から『羽振りの良い国は必ず戦争する』と身に染みている。だから『日本は一度の戦争もせずに戦後復興を成し遂げた』と思ってくれている。他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

 

「一時帰国し、墓参りに行くたびに思うんです。平和憲法は戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の位牌だ、と」

 

日本国憲法がアメリカから押し付けられたかどうかは、

どうでも良いこと。

アメリカにはアメリカの思惑や下心はあっただろう。

だが、それが本物でさえあれば、

自分で稼いで買ったダイヤモンドだろうが

誰かから無理に手渡されたダイヤモンドだろうが、

その輝く価値は変わらないのではないか。

 

しかも憲法には日本人たちの自主的な案も盛り込まれている。

そして、戦争を生き残った人たちが

どんなにこの憲法を喜んだかを、今も語っている人がいる。

 

世界がいよいよ混迷を深めているように見えようとも、

日本国憲法がたとえ“子どもっぽい理想論”に見えようとも、

この日本国憲法の理想が世界の標準になる日は近い、と思う。

 

 

「柔道はオリンピック競技にさせない」と言ったIOC委員  (2013.2.1

  

「柔道はオリンピック競技にさせない」と言った、  

国際オリンピック委員会(IOC)委員がいました。

アジア人初のIOC委員となった人です。

その人こそ、柔道を創始した嘉納治五郎その人でした。

 

嘉納治五郎は、後に東京オリンピックの招致に成功

1940年。戦争の激化により返上)

それでも、自分が生きている限り、柔道をオリンピックに参加させることも、

体重別にすることも認めなかったそうです。

 

「柔道がオリンピックの競技になったら、

 柔道は台無しになるだろう」と。

 

この嘉納治五郎の言葉を伝えたのは、

モーシェ・フェルデンクライスというユダヤ人。

嘉納本人に見込まれ、柔道をヨーロッパに導入することを嘱望された人です。

嘉納治五郎は、フェルデンクライスを立派な柔道家にするために、

フェルデンクライスが住んでいたパリに最高レベルの柔道家を送り込み、

援助を惜しまなかったそうです。

(嘉納とフェルデンクライスの出会いはドラマチックですが、省略。)

 

その結果、フェルデンクライスはヨーロッパ初の黒帯保持者に。

また、今や人口比で日本の6倍の柔道愛好者がいるフランスの、

フランス柔道連盟(前身)の設立にも関わりました。

 

 

そのフェルデンクライスが、あるインタビューで

「柔道がオリンピックに含められたら、柔道は終わりだ」

と言った嘉納教授は不幸にして正しかった、と述べています。

 

フェルデンクライスは言います。

今では、柔道の本質に反する暴力的な力がすべて、

 ということになっている

柔道は、あなたが相手の強さを使うことを学ぶ教育なのです」

小さい人が大きい人を投げ飛ばすことができるのが柔道なのです。

 

フェルデンクライスがこのインタビューに答えたのは、1977年。

35年以上も前のことです。

 

 

柔道のオリンピック代表の監督の、選手への暴力が

ついに表沙汰となり、問題になっています。

オリンピックで金メダルを取ることへの尋常でない重圧。

勝利至上主義。

 

フランスなどヨーロッパでは、勝つためのスポーツとしてではなく、

礼節や精神性を学ぶために柔道をする人が多いそうです。

 

オリンピックの試合で、相手選手への礼儀から

勝ってもガッツポーズをしなかった外国人選手がいました。

 

嘉納が死ぬまで守ろうとした柔道の本質は、

今はどこにあるのでしょう?