「柔道はオリンピック競技にさせない」と言ったIOC委員

「柔道はオリンピック競技にさせない」と言った、  

国際オリンピック委員会(IOC)委員がいました。

日本人初のIOC委員となった人です。

その人こそ、柔道を創始した嘉納治五郎その人なのです!

 

嘉納治五郎は、後に東京オリンピックの招致に成功

1940年。戦争の激化により返上)

それでも、自分が生きている限り、柔道をオリンピックに参加させることも、

体重別にすることも認めなかったそうです。

「柔道がオリンピックの競技になる日が来たら、

柔道は台無しになるだろう」と。

 

この嘉納治五郎の言葉を伝えたのは、

モーシェ・フェルデンクライスというユダヤ人。

嘉納本人に見込まれ、柔道をヨーロッパに導入することを嘱望された人です。

嘉納治五郎は、フェルデンクライスを立派な柔道家にするために、

フェルデンクライスが住んでいたパリに最高レベルの柔道家を送り込み、

援助を惜しまなかったそうです。

(嘉納とフェルデンクライスの出会いはドラマチックですが、省略。)

 

その結果、フェルデンクライスはヨーロッパ初の黒帯保持者に。

また、今や人口比で日本の6倍の柔道愛好者がいるフランスの、

フランス柔道連盟(前身)の設立にも関わりました。

 

 

そのフェルデンクライスが、あるインタビューで

「柔道が体重別制をとり、オリンピックの競技となったら、

柔道は台無しになるだろう」 と言った嘉納教授は、

不幸にして正しかった、と述べています。

 

フェルデンクライスは言います。

「今では、柔道の本質に反する暴力的な力がすべて、

 ということになっている」

「柔道は、あなたが相手の強さを使うことを学ぶ教育なのです」

小さい人が大きい人を投げ飛ばすことができるのが柔道なのです。

 

フェルデンクライスがこのインタビューに答えたのは、1977年。

35年以上も前のことです。

 

 

柔道のオリンピック代表の監督の、選手への暴力が

ついに表沙汰となり、問題になっています。

オリンピックで金メダルを取ることへの尋常でない重圧。

勝利至上主義。

 

フランスなどヨーロッパでは、勝つためのスポーツとしてではなく、

礼節や精神性を学ぶために柔道をする人が多いそうです。

 

オリンピックの試合で、相手選手への礼儀から

勝ってもガッツポーズをしなかった外国人選手がいました。

 

嘉納が死ぬまで守ろうとした柔道の本質は、

今どこにあるのでしょう?