フェルデンクライスとは

フェルデンクライス」というのは、この方法を創り上げたユダヤ人の天才的物理学者モーシェ・フェルデンクライスの名前です。


スポーツで痛めた膝が悪化し、医者からは歩行不能の可能性もあると言われましたが、自力での再起を決意。幅広い知識を統合して、自分自身に歩くことを再教育し、また歩けるようになりました。その方法が、後にフェルデンクライス・メソッドと呼ばれるようになりました。

   

  ※モーシェ・フェルデンクライスについて、詳しいことは、この下の「物理学者、柔道家モーシェ・フェルデンクライス」の項をお読みください。 

 

NHK『まる得マガジン』でも紹介された、〔フェルデンクライス健康法〕

2016年にNHK『まる得マガジン』で、

力を使わない画期的なボディーワーク!フェルデンクライス健康法」として紹介されました。

講師は順天堂大学名誉教授の武井正子さん。

 

 「フェルデンクライス健康法(フェルデンクライス・メソッド)は、からだの動きを通して自分の可能性に気づき、さらによい生き方を目指す自己開発のボディーワークです。1940年代に科学者モーシェ・フェルデンクライス博士によって、体系化されました。今まで気づかなかった背骨や骨盤などの心地よい動きを通して、全身の骨格や筋肉がどのように連携して動いているかを詳細に体験することで、脳・神経系を活性化し、バランスのとれた質の高い動きと機能を身につけていきます。からだを動かしますが、トレーニングやエクササイズではありません。

 レッスンのキーワードは“気づき”。レッスンは、ふだん、無意識に行っている無駄な動きや力の使い方に気づきながら、どうすれば余分な力を使わず、効率よく、気持ちよく動くことができるかを探るようにゆっくり進められます。そのため、心とからだの緊張が解き放たれ、自分の能力を十分に発揮することが可能になります。さらに、レッスンで学んだことを日常生活に生かし、ひとりひとりが、よりよい人生を築いていくことを目指しています。」    

(2006年放送、NHK公式テキストより) 

 

 

物理学者、柔道家モーシェ・フェルデンクライス

モーシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais:1904~1984)は、旧ロシアのユダヤ人家庭に生まれ、14歳のとき、単身パレスチナへ歩いて行き、建国の開拓労働者、数学教師として働きました。

 

その後、フランスのソルボンヌ大学で数学と物理学の博士号を取得。ノーベル賞受賞者フレデリック・ジョリオ=キュリー(キュリー夫人の娘婿)の共同研究者に抜擢され、ともに働きました。

一方、パリでは、柔道の創始者・嘉納治五郎とも劇的に出会い、嘉納本人から、柔道のヨーロッパでの普及を託されます。嘉納の援助で柔道を学び、外国人初の黒帯保持者となりました。そしてフランスの最初の柔道クラブを設立。柔道を指導するだけでなく、何冊もの著書でヨーロッパに柔道を紹介しました。

 

第2次世界大戦中はナチスの侵攻を逃れてイギリスに渡り、英国海軍省の対独潜水艦作戦の仕官に。その間、音波探知装置によって、いつくかの特許を取得しています。戦後はイスラエルに帰国して、国防軍の電子部門の初代責任者を務めました。

 

かつてサッカーで痛めた膝が悪化し、医者からは「手術をしても成功の確率は50%で、脚切断の可能性もある」と宣告されましたが、手術を拒否し、自力で再起することを決意します。

そして、科学者の頭脳をもって、ヨーガ、フロイト、大脳生理学、神経生理学、サイバネティクス、言語学、システム論などを、広範囲に探求。それらの知識を、柔道によって得た具体的な体の知恵と統合し、自分自身に歩くことを再教育して、再び歩けるようになったのです。

 

フェルデンクライスが自分の体を実験台にして生み出したこの方法が、評判を呼び、のちに「フェルデンクライス・メソッド」と呼ばれるようになりました。

イスラエルでは、初代首相ダヴィド・ベン=グリオンにレッスンをして彼の健康回復を助けたことで、全国的に知られるようになりました。

このメソッドは、1960年代からはスイスやフランスをはじめとしたヨーロッパ諸国で大いに注目されるようになり、1970年代にはアメリカにも波及しました。

 

かねてより、東洋哲学や武術に深い関心を持っていたフェルデンクライスは、東洋の身体メソッドの研究のために来日したこともあります。

欧米のボディ・ワークと思われがちですが、フェルデンクライスと柔道との深い関わりから、ヨーロッパではむしろ日本的なメソッドと思われているようです。